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   <title>FA-ITの知恵の交差点：FA-IT-Research</title>
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   <updated>2008-11-17T03:00:04Z</updated>
   <subtitle>FA-IT-Researchでは、製造業の現場のキーワードである『見える化』、そして、
そのアキレス腱となる『FA-IT交差点』にスポットを当て、皆様との議論の絆、
知恵の輪を広げていきたいと思います。</subtitle>
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   <title>ＭＰＵが製造システムの進化を起爆した</title>
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   <published>2008-11-17T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-11-17T03:00:04Z</updated>
   
   <summary>前回のブログで、杉山氏は、ＭＰＵの応用開発時代の‘申し子’の様に、幕開けとともに...</summary>
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         <category term="記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[前回のブログで、杉山氏は、ＭＰＵの応用開発時代の‘申し子’の様に、幕開けとともに舞台に登場し、遺憾なく力を発揮し「ＦＡ事業の草創期」でＭＰＵ応用の技術基盤を確立されたと述べました。<br><br>

７０年代初期の時代、ＭＰＵが製造システムに応用され始めたころは、まだ‘ＦＡ’という言葉はなく、‘オートメーション＝自動化／無人化’とか、大規模なシステムについては‘ＩＡ＝インダストリアルオートメーション’と称されていました。８０年代に入り、日本の製造システムが世界に認識されるようになって、和製英語の‘ＦＡ’が世界に通じる様になりました。このことは、<a href="http://www.fa-it-research.com/2007/09/fait.html">０７年９月１０日のブログ；「現場の作業者の『ＦＡ－ＩＴ』武装のすすめ」</a>で述べましたが、この様になったのはＭＰＵの出現と進化が大いに貢献したのです。コンピュータの集中直接制御（ＤＤＣ）から、ＭＰＵの活用により自律分散制御（ＤＣＳ＝Distributed　Control　System）へパラダイムシフトすることで、日本の製造システムのイノベーションを起爆しました。<br>

MPUが、日本の製造システムをどう変えたかを考えてみたいと思います。<br><br>

それは、極言すれば、製造設備の操作論理をワイヤードロジック（HW）で構成していたものからソフトロジック（SW）で構築出来るようになったと云うことです。<br><br>

６０年代「胎動期」では、EDP（Enterprize Data Processing ） に接続されたプロセスコンピュータによるＤＤＣが素材産業とか化学プラントなどの大規模製造設備の自動化システムに採用され、この分野の生産性は向上し世界に伍していけるまでに発展しましたが、もう一方の加工組立産業分野では、設備機械が多様で、人手も入り、ＤＤＣは規模・コスト面から適用されませんでした。そのため、ＥＤＰとＭＲＰ（Manufacturing　Resource　Planning）が汎用コンピュータの中で連携し、‘Planning’の文字通り、生産計画をバッチで一方的に製造現場へ流し、小日程計画レベルのバッチでフィードバックする方式にならざるを得ませんでした。製造現場ではICロジックとパワートランジスターによる電子制御装置（HWの産業エレクトロニクス化）とリレーシーケンス（ワイヤードロッジク）との組合せによる設備機械の自動化は進展しましたが、現場の状況の「見える化」と「改善活動」への融通性は不充分でした。<br><br>

そして、７０年代に入り、MPUが現れ、ハード・ソフトのモジュール化が一挙に進み始めました。コントローラハードは、モジュール化し多様な組合せを可能にしました。コントローラメーカの基本機能ソフトはMPUの組込みSW化され、ユーザソフトは扱い易いプログラマブル化が進みました。即ち、HWとSWを分離するシステム・アーキテクチャーのパラダイムシフトが起こりました。その結果、MPUを初めとする半導体部品は大量に使われ、量産化で低価格化・コモディティ化するという相乗効果が生まれ、ますます半導体部品の集積度は上りコントローラHWはコンパクトに高機能の盛り込みを可能としました。さらに、コントローラメーカが開発する組込SWは高度化し、ユーザの使い勝手を追求した高機能化とプログラマブル言語・POL（Problem　Oriented　Language）を提供し、ユーザが手軽にプログラムすることを可能にしました。その結果、ユーザ自身がもつ製造知識・ノーハウをプログラム作成できる人口が飛躍的に拡大し、所謂‘大衆化’していきました。<br><br>

７０年後半で、MPUにより、計装メーカではDCSが発展し、計装分野でプロセス制御する多様なコントローラが製品化されました。<br><br>

同じく、三菱ではクレーン搬送機械制御用CLP―Nシリーズが製品化され、自動化制御システム販売として、重電事業部門経由で販売納入しておりました。一方で、シーケンサーの単体販売市場が勃興し、三菱も汎用シーケンサー[MELSEC]を機器販売チャネル（NFB、電磁接触器・リレー、配電変圧器など産業用機器販売担当）で販売参入すことになりました。その設計部門は、私が担当する盤設１課が行うことになりました。
参照：<a href="http://www.fa-it-research.com/2007/12/07_12_25.html">０７年１２月２５日更新のブログ；「三菱シーケンサー『ＭＥＬＳＥＣ』の黎明史」</a><br><br>

上記参照ブログにある様に、下水道プラント用に開発したシーケンサーを転用して、７８年に初めて機器販売店ルートで、小型シーケンサー‘ＭＥＬＳＥＣ―００８’を発売しました。このCPUに初めてMPUを採用した画期的なものでした。この製品開発の担当は、盤設１課の自動化Gリーダで、初期のCLP（N形シーケンサー）の開発者でもありました‘Naさん’でした。重電部門の神戸製作所からは後々の語り草となるほど、好評でしたが、機器ルート販売ではそうは簡単ではありませんでした。<br><br>

一例を上げますと、私も販売促進で、東京の下町の‘盤屋さん＝制御盤組立会社）’へ入口のドブ板を渡り、PR訪問しました。この製品のＩ／Ｏユニットはコネクター方式なので、盤の端子台とコネクターを繋ぐハーネスをオプション部品として持参して、一喝されました。“ワシとこは、盤の配線数で商売してるんヤ！そんな事が分からんのか！”と、今まで私が相手にしていた重電の顧客とは全く違うのだと、衝撃を受けました。]]>
      
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   <title>杉山氏を偲ぶ、同僚先輩からの言葉</title>
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   <published>2008-11-10T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-11-10T07:53:18Z</updated>
   
   <summary>１９７０年半、自動化グループ（G）の中核メンバーで、ＣＬＰ－Ｎシリーズの応用シス...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[１９７０年半、自動化グループ（G）の中核メンバーで、ＣＬＰ－Ｎシリーズの応用システム担当の‘Ｎさん’と、ＣＬPシステム開発担当の‘Ｉさん’が、『<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/09/0908.html">杉山氏の御足跡を偲ぶ</a>』を読んで、当時の彼（入社初期５年の時代）の活躍を彷彿とさせる証言をして頂きました。<br><br>

<strong>０１）</strong>‘Ｎさん’からは、“佐竹さんのブログを読みまして、杉山さんの急逝に対して、いろいろなことを想い起こします。そんなことを、思いつくまま記しました。<br><br>

当時（１９７２）、自動化Ｇに私も属しており、自動化搬送システム等を設計しておりました そんな時（７２年１２月頃と思いますが）に、杉山さんが移ってきました。彼の専門は情報工学（画像処理）と聞いて、盤設の従来までとは違った分野の技術者が来たなというのが、印象でした。 当時の私は、電子計算機講座を１年間受講した後でしたので、特に違和感無く受け入れられました。何故、この講座を受けたかというと、<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/09/0922.html#02">新日鉄君津の大形整理ヤード</a>でコシ電（コンピュータシステム製作所）のシステムを見て、今後はこういう技術が必要になると思ったからです。<br><br>

そのころ、ＳＫアルミ社の自動倉庫システムの商談があり、‘Ｎａさん’がＮ型シーケンサ（初期のＣＬＰシリーズの呼称）のＳＷ、私が駆動盤を含むＨＷを担当していました。‘Ｎａさん’の配下で、彼はタイミングよくＳＷの仕事（ＯＳの製作やサブルーチン化）を担当されたのを思い出します。 ＳＷといっても機械語を直接打ち込むやり方でしたが。その後、彼はＮ型シーケンサのＳＷの標準化（リアルタイムＯＳ）を更に進めておられました。 特に、リアルタイムＯＳ（マルチ）の開発については、私も大いに啓発されました。７４年前半には、私自身がＳＨアルミ社の自動倉庫システムをＨＷ／ＳＷを担当し、システムの組み方で、一緒になって仕事を致しました。当時は、まだＯＳにバグが残っており、現地から不具合状況を電話で話し、いくつかの不具合を潰して行った事もありました。<br><br>

７４年後半から７６年にかけては、新日鉄（若松）の原料ヤードの自動化システム（合計７ｓｅｔ）を受注し、このコントローラとしてＮ型シーケンサを採用しました。この時に、Ｎ型シーケンサのＨ／Ｗの見直しとアッセンブラー言語の開発を行いました。Ｈ／Ｗについては、杉山さんがＣＰＵ周り／私がＩＯ周りを、共同して見直し／再設計を行いました。アッセンブラー言語の開発は、当然杉山さんが行ったのですが、その後のシステム設計が極めて楽になり／且つ設計ミスが大幅に減少したことを覚えております。 それらをベースに、ソフトウェアの表記方法の標準化（シートのフォーマット化）を、一緒に進めた事も思い出の一つです。<br><br>

そして、杉山さんは、「ＮＫＫ（扇島）プロジェクト」のＣＬＰ－Ｎ３０のＨＷ・ＳＷの標準化を黙々と進められ、応用システムの私たちは、リアルタイムＯＳの使い勝手がよく、サブルーチン化も一緒にやってくれ、多いに助かりました。その経験が、その後のシーケンサのＳＷ開発にも大いに活かされたと思います。”と振り返って頂きました。<br><br>

<strong>０２）</strong>一緒にＣＬＰシステム開発を担当し彼を指導して下さった‘Ｉさん’からは、“杉山氏のご逝去の追悼文　拝見しました。トランスから、盤設に移られたことは、杉山君自身にとっても、Ｆシ部（注、名古屋製作所ＦＡシステム部；８８年発足：当時から約15年後）にとっても、非常にハッピーな、結果になりましたですね。ただ、三菱電機の経営陣から大いに期待されるなかで、杉山君自身は、最後は、本当に、不運だったですね。” と偲んで頂きました。<br><br>

７２年に、大学で情報工学を学んで卒業された彼にとっては、変圧器設計課への配属は、いかにも勝手違いであったかと思われますが、我が自動化Ｇへの転任も未知の世界で不安であったかと想像します。しかし、自動化Ｇでは、まさに、<strong>ワンチップＣＰＵ</strong>（ＭＰＵ＝Micro　Processing  　Unit ）の出現の当初からμＰコントローラ（ＣＬＰ）開発に参画され、その後、彼は毎年の如く進化するＭＰＵをＦＡ分野へ適用する先駆者となり、ＭＰＵを知り尽くし、ＳＷ応用の利便性（ＳＷ設計手法とデバッグの効率化）と品質確保の仕組みを開発し、自ら実践して確立してくれました。このエポックは、彼にとっても、三菱ＦＡ事業に携わった人達にとっても、‘Ｉさん’が云われるように、この上ない幸運であったと今更ながら思います。]]>
      
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   <title>☆≪Wikipedia≫『生産技術』⇒「概要」を閲覧する</title>
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   <published>2008-10-20T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-20T03:00:03Z</updated>
   
   <summary>ブログ本文の末尾に“この『洋ＩＴ』のヒントは、「Wikipedia」にあると思い...</summary>
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         <category term="お勧めの記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[ブログ本文の末尾に“この『洋ＩＴ』のヒントは、「Wikipedia」にあると思います。この切れ味を、『生産技術』の検索で試してみて下さい。”と書きました。
≪Wikipedia≫『生産技術』⇒「概要」を体感して頂きたく、掲載しました。
注）次のURLで、「生産技術の概要」のページを直接開くことも出来ます。
<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%94%A3%E6%8A%80%E8%A1%93" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%94%A3%E6%8A%80%E8%A1%93</a><br><br>

生産技術の学問の見地から、興味ある解説が出てきます。以下にその一部を掲げます。<br><br>

<table width="90%" border="0">
  <tr>
    <td width="2%">&nbsp;</td>
    <td width="98%">生産技術に関係する学問や技術の範囲はきわめて広い。生産システム工学、経営工学、プロセス工学などが近いものとして上げられるが、これらは生産技術の一部分を知識化したものである。生産技術にはこれらの学問的知識に加えて、それぞれ加工技術の専門知識と経験が必要とされる。また、常に合理性という価値観が強く求められるため、机上だけでは習得することが困難な技術でもある。<br><br>
	
    このように技術と同時に実学に根ざしており、やや哲学的な意味合いのある言葉である。そのためか生産技術学という学問は存在していないが、ものつくりの哲学として広く定着している。たいていの技術的専門知識は特定の分野でしか生かされないものだが、生産技術は高い専門性を有するにもかかわらず、ほとんど全ての産業で使うことが出来るのが大きな特長である。</td>
  </tr>
</table><br><br>

FAシステム技術も生産技術と同様に現場を知る実学と、応用展開するには哲学的思考が必要です。しかし、今日では個人の失敗体験などの「暗黙知」頼りでは間に合いません、私はこの文章を見て思いました。日本の製造業が、個人の優れた「暗黙知」を素早く「集団知」として磨きをかけ、活用出来るようにするには、社内に≪Wikipedia≫のような仕掛けの「コトづくり＝『洋IT』」をして、営業・設計・製造・品質・サービス部門共通の「知識ベース」の運用が出来ないものかと考えました。走りながら作る必要があるので、スモールスタートしたらどうか？　各人の失敗体験を起点にして、その内容の再発防止策と他の類似のケースを‘般化’するレポートを義務付ける、それを読んだ人が、関連事項、気付きを書き込む．．．．　私の素人考えを補強して頂きたいものです。]]>
      
   </content>
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   <title>現場での失敗から学ぶ実学</title>
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   <published>2008-10-20T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-22T02:36:39Z</updated>
   
   <summary>０１）ＮＫＫ（扇島）プロジェクトの教訓 NKK(扇島)クレーンの暴走案件は一件落...</summary>
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         <category term="記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[０１）ＮＫＫ（扇島）プロジェクトの教訓
NKK(扇島)クレーンの暴走案件は一件落着しましたが、その発生のメカニズムをつらつら考えました。プリント基板が酷寒のクレーン上の電気室に放置された状態から、電源を入れ、ウオームアップせずに、即刻、走行位置決め制御を始めると、ＩＣパッケージの中とＰ基板の半導体回路に電流が微細なパターンに局部的に流れ、部分的に回路が急激に温度上昇し半導体特性にアンバランスが生じる現象は、‘急冷剤’を吹き付けたのと同じ状態が起こっているのだと気付きました。開発部の恒温室の再現試験での温度変化とは比較にならない急激な変化が起こっていたのでした。<br><br>

<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/10/1014.html">前回ブログで述べた様に、プロセスコンピュ－タでは、常時電源を切らないことが常識になっていました。また、当社の品質管理課の現地調整員は、原因不明の誤動作が起こった場合の暗黙知として、‘急冷剤’を‘誤動作し易いところをあぶり出す’道具として常用されていたのでした。</a><br><br>

当時、盤設課長であった私（入社約１５年）が、工場と現地と大騒動させて、P板の大改修と電気接続の総再点検を実施した挙句に得た貴重な教訓でした。<br><br>

０２）ＮＫＫ（福山）の岸壁クレーン現調での教訓
上記の０１）に類した失敗が、駆け出し設計技術の私（入社約５年）にもありました。NKK(福山)の岸壁クレーンの現地調整に出張していました。クレーンの配線工事が完了し、巻上げ用誘導電動機の速度制御用<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/09/0916.html#01">可飽和リアクトルの制御巻き線に接続されたサイリスタ点弧制御装置</a>の出力電流チェックを始めました。何度もサイリスタをフル点弧させてもリアクトルの制御巻き線に電流が流れません。そこで、そのリアクトルの制御巻き線が断線していると断定し、２号機搭載の可飽和リアクトルと交換することになりました。重量１トンあまりのリアクトルを工事用クレーンで大騒動して１号機へ取替えて貰いました。そして、再トライしたところ、全く同じ現象です。如何したものかと考えあぐね、茫然自失していました。そうこうしていたら、立会いされていたＮＫＫの保全の方が、“佐竹さん、可飽和リアクトルの制御巻き線の並列抵抗器（制御盤内取付）一本が断線しているよ！”と叫びました。リアクトルの制御巻き線はリアクタンスが大きくサイリスタの脈動直流電圧では電流が流れ難いのです、その為に並列抵抗器を取り付けているのです。判ってしまえば当たり前のことですが、そこまで自分の考えが及ばず、大失態をしてしまったのです。その抵抗器は１ｋｇにも満たないもので、その場ですぐに取替え、正常に動作するようになりました。私は平身低頭して謝り、大変なご迷惑をかけ工事業者から賠償が迫られることを覚悟しました。しかし如何したことか不問に付されたのです。その保全の方が若手の技術者が顔面蒼白になっているのを見かね、教育的温情からか？　“リアクトル交換で復旧できた”と内部報告されたのではないかと推察し、「地獄で、お目こぼし」を頂いたことを忘れることが出来ません。６０年代半の頃で、ユーザのベテラン保全技術者はおおらかでした。<br><br>

この２つの現場での失敗から学んだ実学は、理論から学んで頭でっかちの技術者にとっては、現場で問題に遭遇しないと本物の技術が身に付かないという事です。工場で試作試験をやってきた５年選手としても不充分であるし、現場の報告を受けて判断を下すプロジェクトリーダの立場になっている１５年選手でも不充分であると言うことです。<br><br>

これらの事例は、一般論として、技術者は、‘失敗を恐れるな！’という言葉に勇気付けられ、自分の見えている範囲で、勝手な論理で判断し間違いを犯すことがありますが、その失敗を身に沁みて感じ、それを‘糧’として、その後のチャレンジに際しては、起こりうる状況を視野広く周到に対策して臨み、実行した結果、不幸にして失敗した場合も、その原因を反省する中で多くを学び、次に生かして、スパイラルアップの成長を遂げていくのも事実です。<br><br>

７０年代後半のＣＬＰ－Ｎシリーズ時代では、μＰシステム開発がＮＫＫ（扇島）プロジェクトと、幾つか同時進行し、盤設課と品質管理担当の技術者達は、奔走し多忙を極めました、利益貢献は今一でしたが、新技術の試行錯誤から学んだ実学は、その後大いに役立ちました。<br><br>

上記から私の云いたいことは、私の過去の失敗と成功を回顧しているのではなく、この様な製造設備制御の応用システム開発は、国内産業の勃興期のよき時代で悠長な実学訓練でした。これを現在のグローバル化、少子高齢化の時代の条件下でも、実学が大切であることには変わりはありません。如何にして日本の製造業の優位性であった『和魂ＦＡ』を継承し強化するかが喫緊の課題です。それには、実学の質・量・スピードをこなすためのITが不可欠です。<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/07/0722.html">日本は未熟とされている『洋ＩＴ』を手中の道具</a>としなければならないと云う事です。<br><br>

<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/10/post1020.html">この『洋ＩＴ』のヒントは、≪Wikipedia≫にあると思います。この切れ味を、『生産技術』の検索で試してみて下さい。</a>]]>
      
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   <title>FA事業の“草創期”の波乱を乗越えて</title>
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   <published>2008-10-14T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-14T07:36:22Z</updated>
   
   <summary>１９７３年に端を発した第一次オイルショックは、鉄鋼業界でも大型投資の需要は急激に...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[１９７３年に端を発した第一次オイルショックは、鉄鋼業界でも大型投資の需要は急激に減退しました。このプロジェクトも一時続行が危ぶまれましたが、NKKの京浜地区から扇島への移転は、既定方針として実施されることになりました。結果として、NKK(扇島)プロジェクトは７６年に受注に成功しました。引き続き、つめの仕様打ち合わせとして、建設本部との打合せから、受注決定したクレーンメーカとの打合せへと忙殺されました。それから一年有余経った７８年の１月から、試運転の現地調整が始まりました。<br><br>

０１）初号機からの現調で再現不能なトラブル発生
クレーン走行の暴走が起こりました。走行の自動位置決め制御が脱調し、走行路の終端まで惰行するのです。設計者も送り込み原因追求をしましたが、何かのきっかけで突然起こり、再試行すると再現しない現象です。初期段階は頻発せず、操作ミスかと甘く見ていましたが、他の号機でも起こるようになりました。最初に疑ったのは、走行のシンクロリゾルバーのＡ／Ｄ変換の誤動作でした。当社の相模製作所が担当する位置検出システムでした。同所の技術員が現場へ出張し、散々試運転しましたが、再現しませんでした。そこで全装置を取り外し、工場へ持ち帰り厳重な再検査を行いましたが、そこでも異常は見つかりませんでした。<br><br>

名古屋製作所の方でも、開発部の大型恒温室にＣＬＰを盤ごと入れて－１０℃から＋６０℃まで変化させ再現試験をやりましたが、出ません。そのうち建設本部長まで報告があがり、“量産品しかやっていない名古屋製作所に任せたのが、まずかった！　三菱電機の総力を挙げて解決すように！”というお達しが出て、大問題となりました。<br><br>

０２）原因の追究と補修作業の実施
原因として想定されるのは、何らかの外的要因（温度or振動）が絡んだ時に発生する誤動作と考えました。Ａ）温度については、相模、名古屋ともに工場で高－低温試験をしましたが、念のため温度上昇でノイズマージンが低下する回路・部品の設計品質に立ち返り再点検を行うことと、Ｂ）振動による電気接続が接触不良になりうる箇所がないか現物確認の２つを追求しました。<br><br>

Ａ）温度要因のノイズマージン低下箇所の点検と補修
先ず、図面と主なＰ基板を持って、伊丹の応用研究所へ行きました。そこでノイズ対策で博士号を取得された「ノイズ博士のＮさん」がコンピュータ製作所におられることを知りました。その足で、鎌倉へ引き返しＮさんを訪ね、教えを乞いました。“コンピュータのＰ基板では、兎に角‘０’レベルの配線パターンを太くして、制御回路パターンをシールドするため、取り囲む様にパターン設計をしている。”と教えられ、μＰのＰ板ではそこまでしなければいけないのかと、絶句しました。現在のＰ板を作り直す時間も許されないので、現在のＰ板の０レベルを太いジャンパー線で補強しようと決意しました。工作課の半田作業のベテランを派遣してもらい、私が現場事務所で陣頭指揮して、号機ごとに実装されているＰ基板を外し、補強作業を実施し、１日で復旧作業を強行しました。その折に、私は改造箇所の検査を、ルーペを使って行いました。ついでに、Ｐ板のＢ）の問題の除去のために、半田の乗りが悪い箇所がないかも点検し、その場で半田補修も行ってもらい、万全を期しました。<br><br>

Ｂ）不完全電気接続の総点検の実施
クレーン上では、制御盤の内外端子の接続、外部設置検出器・伝送装置の端子接続をクレンメーカと共同で総点検を実施しました。<br><br>

当時、現場調整スケジュールに入っている数台のクレーンについて、上記Ａ），Ｂ）の総点検を同時進行で実施し、さながら、多人数で戦場のような慌しさで、１日でやり遂げ、各クレーンとも修復後の試運転を実施し、誤動作は起こらず、正常に復帰したことを確認しました。<br><br>

当日は、一種の達成感を味わいながら、ホテルへ引き上げました。<br><br>

０３）それでも解決できない地獄の中で、救いの「一言」
季節は２月に入り厳寒の冬になっていました。翌朝、凍てつく現場へ出勤し、クレーンの制御電源を入れ、調整作業に入ったところ、無情にも同じ異常が再発しました。暗澹たる気持ちで、名古屋の制御盤設計（盤設）課の部下へ今朝の再発状況を電話し、そちらでも恒温室で、高低温に振って、ノイズ試験を再開し、思いつくことを何でもテストしてくれと頼みました。私は正常に戻ってしまったクレーンに戻り、万策尽きたかの思いの中、品質管理の出張者が現地調整に携行している小道具‘急冷剤’を何気なく持ち出し、ＣＬＰ盤のあちこちに吹きつけていました。するとクレーン暴走が起こりました。しかし、この様な急冷現象が自然界で起こるはずがない、無理やり起こした現象であると思い込みました。<br><br>

その日のＮＫＫの関係者との進捗会議に出席し、前記の改修とその結果の一部始終を報告しました。この報告を聞いて、ＮＫＫの保全担当の方が、“そう云えば、現場のプロコンは、帰る時に電源を切らないよネ！”と救いの「一言」を呟いてくれました。その日から、クレーンの制御電源を入れっ放しにしました。それ以来、暴走は起こらなくなりました。]]>
      
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   <title>三菱電機FA事業の“草創期”の始まり</title>
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   <published>2008-10-06T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-10-06T03:00:04Z</updated>
   
   <summary>杉山氏が入社される１年前の１９７１年、インテルの４ビットワンチップCPU（i40...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[杉山氏が入社される１年前の１９７１年、インテルの４ビットワンチップCPU（i4004）が発売されました。ＣＬＰ（Crane Local Processor）の制御ロジックは、従来のワイヤードロジック方式からマイクロコンピュータ（μＰ）によるソフトウェア（SW）化が始まりました。しかし、４ビットＣＰＵでは命令ステップが多く、煩雑で、制御のリアルタイム性を確保するためにハード・ソフトミックスの制御方式となり、開発に手間取っていました。さらに、納入後の電磁ノイズによる電子装置の誤動作対策に四苦八苦しておりました。この最中に彼が開発メンバーに加わり、主としてSW開発を担当し、気力・体力の発揮が始まりました。そして１９７４年に、８ビットワンチップCPU(i8080)が発売され、いち早く採用してＣＬＰ－Ｎ３０／５０の新シリーズ開発を進めました。その主要メンバーとして、活躍され、前回ブログ末尾のマイクロコンピュータ（μＰ）時代、即ち、『三菱FA事業の“草創期”』が始まりました。<br><br>

<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/09/0916.html">前々回のブログで掲げました「ムーアの法則」</a>にあるように、ワンチップCPUは次第に大容量・高速化し、半導体の集積度が上がりＣＬＰのサイズはむしろ小型化しました。次第に制御ロジックも高機能化し、SW規模が膨大となり、プログラミングとデバッグの効率化・品質の課題が大きくなりました。これがＦＡ事業の６０年代の“胎動期”から７０年代の“草創期”への流れです。<br><br>

<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/09/0922.html#01">前回ブログのＦＡ事業の “胎動期”末尾の出来事「ＮＫＫ扇島プロジェクトの商談」</a>をきっかけに、“草創期”の初期の段階に入りました。NKK建設本部長のＣＬＰ―Ｎ新シリーズの立会いが行われるということで、名古屋製作所では、おおわらわで立会い準備を整えました。当時としては、クレーンに搭載するμＰは鉄鋼では始めての試みでした。<br><br>

立会い試験の注目ポイントは次の３点に集約されました。<br><br>

０１）ＣＬＰ－Ｎシリーズの信頼性と本体・周辺機器の実装構造<br><br>

周囲温度５０℃（電機室の部分空調を行う）環境での動作と、耐震構造（盤据付、プリント基板の接栓・端子、接続線、の耐震対策）の評価。<br><br>

０２）移動体間データ・信号伝送の光通信方式の採用<br><br>

これまでに実用化されていた有人のオペレータガイド方式は、地上―機上間通信は誘導無線が採用されていましたが通信環境が劣悪のため無人運転には不向きとし、光通信を採用。クレーンガータの走行路は直線であるため、空間光伝送方式を採用し、ガータ上の移動信号（走行、巻上げ、横行の位置センシング）は光ケーブル巻取り方式などが採用され、誤りチェック、冗長方式による自動修復などの確実性と安全性の評価。<br><br>

０３）横・走行移動位置検出方式<br><br>

位置検出は、走行レールにタッチローラを取り付け、電磁誘導式多相シンクロリゾルバーによる回転角度検出を、一定間隔にビットコードの鉄片を敷設し、移動体側の近接スイッチで絶対番地検出して補間修正する準絶対番地方式を採用。これも自動修復などの確実性と安全性の評価。<br><br>

これらの項目は、それまでの自動倉庫スタッカークレーン・立体駐車場、鉄鋼プラントの半自動クレーン（オペレーションガイド）、鉄鉱石・石炭の原料ヤードのスタッカー・リクレーマ、コークス炉押出し機の自動運転等の経験を総括し、新規技術を取り込み、本プロジェクトへ提案し、開発を進めたものです。<br><br>

NKKの立会い試験当日は、現物を取り揃え、事前に採集した試験データなどを色々準備しましたが、最も心配されていたのは、０１）項のクレーン上に搭載するCLPと信号伝送、絶対番地検出の電子装置の信頼性と耐震対策でした。そのため、CLP制御盤を現場で取り付ける方法を模してアングル溶接構造を作り、航空電装品担当部門の振動試験機を借用し、立会い場所に持ち込み、CLP盤を取り付けたアングル構造を振動試験機に固定して、加振しながら模擬動作試験を行う準備をしました。<br><br>

建設本部長、技術員お立会いのもとで、試験スケジュールは順調に進行しました。そして、最後のとどめの段階；「振動試験」の最中に、名古屋製作所のＳ所長が現場に現れ、“佐竹グループがこんなに本気になってやっています。信用してやって下さい！”と建設本部長に囁いて頂きました。工場お立会いの首尾は上々でした。]]>
      
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   <title>三菱FA事業の“胎動期”（後篇）</title>
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   <published>2008-09-22T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-11-10T07:52:07Z</updated>
   
   <summary>（前編）で紹介したサイリスタ点弧装置の試作実習の後日談として、このクレーンの現地...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[（前編）で紹介したサイリスタ点弧装置の試作実習の後日談として、このクレーンの現地調整で、品質管理のベテラン社員に同行して長崎造船所へ出張させてもらいました。毎日、現場へ行き、６０ｍある螺旋階段を登り、クレーンガータの上にある電機室へ行き、調整試験の作業をやりました。ベテラン社員は、制御盤のコンタクタ・リレーの動作する音を聞いていて、“佐竹さん、○○のシーケンスがおかしい、図面を見て！”と言います。<br><br>

私は、自分が作ったシーケンス図でも、順を追って確認しないと原因が判らずモタモタしていると、“××のコンタクタの条件を見て！”と云われてやっとミスが判ること、しばしば経験しました。そして、現調の最終段階で、３０ｍの高さにあるクレーン運転室から３０万tドックをへいげいし、操作レバー１本で、２基のゴライアスクレーンの連動運転をしました。技術者としての醍醐味にひたった感動を忘れることは出来ません。<br><br>

若い頃に、現場第一主義で、この様な厳しさに耐えながら貴重な体験をすることが、何よりの教育であると痛感しました。後で考えると、Y係長が指導して下さったことは、若手技術者の養成法として引継がれた制御盤設計課の伝統であったのだと、つくづくと感入りました。<br><br>

０３）ワイヤードロジックからソフトロジックへの胎動の時代<br><br>

６０年代の中頃は、EDPコンピュータの普及が進み、制御HW（ハードウェア）は、半導体部品を応用し小型化・高性能化が可能になり、当時の私の担当する立体自動倉庫、立体駐車場などのクレーン、コンベヤ制御では、上位コンピュータシステムからの指令により、自動（無人）運転させるシステムが多くなってきました。当初は制御コンピュータによるDDCも考えましたが、移動機械の位置決めとか、コンベヤで搬送する荷物の判別仕分けなどのディジタル制御は、機械側のローカルでコントロールする方が適しているため、クレーン（＆コンベヤ）・コントロール・プロセッサー（CLP）と称する専用コントローラを開発していました。ICの集積度が上がるにつれMSI、LSIが普及し、CLPは高機能化していきました。さらにコンピュータのダウンサイズが進み、ミニコンが出現してきましたが、制御用として機能に過不足があり、あまり応用されず、市販のMSI、LSIを使ってディスクリートなCPUを開発して擬似マイクロコンピュータへCLPは進化して行きました。<br><br>

<a name="02"></a>この時代は、自動倉庫が盛んに建造され、多くのスタッカークレーンの制御システムを納入しましたが、その中で特筆すべき大型システムは、新日鉄君津製鉄所へ納入した‘大型鋼整理ヤードシステム’と称されたプロジェクトでした。製鉄所で、圧延され結束された各種サイズのビル建設用長尺Ｈ型鋼を立体倉庫に入庫し、出荷オーダ対応の各種鋼材を船積み計画順（船の重量バランス）に出庫し、船積みヤードへ段取り払い出すシステムです。スタッカークレーン１５台と搬送コンベヤ群で構成する大型プラントです。名古屋製作所は、クレーン群の無人運転と、コンベヤ群の総括制御を担当し、鎌倉のコンピュータシステム製作所は、ト－タル管理を受け持つホストコンピュータシステムを担当しました。このような重電的な大型システムは、汎用電機品の量産を得意とする名古屋製作所にとっては不得意の個産システムでしたが、商談開始から現地調整が完了まで３年有余かかり、完遂しました。私は、この間の仕様打合せから現地調整の初期段階まで、プロジェクトマネージを本社の総合システム部に席を置き、名古屋を兼務して経験させて頂き、多くを学びました。特にコンピュータシステムとの連携では、得るものがありました。<br><br>

<a name="01"></a>０４）マイクロコンピュータ時代へのプロローグ<br><br>

前記の大型プロジェクトが一段落した頃、製鉄各社では、多くの天井走行クレーンのオペレーションガイド（オペガイ）が行われていました。製鉄の圧延工場では、スラブなどの中間成品や、厚板、棒材・鋼板コイル等の成品のストックヤードが製鉄所内に存在していました。これらのストックヤードでは、自動倉庫のように入出庫管理をコンピュータで行い、成品の置き場所の番地管理をするようになり、地上から誘導無線を経由してクレーン運転手をリモートガイドするシステムが採用されていました。そこで、ＮＫＫが京浜地区から扇島へ移転して鉄鋼プラントを大刷新する方針があり、天井走行クレーン群を新設する機会を利用し、一挙に無人運転化しようとする動きが出てきました。当社では、この受注活動が開始されました。その当時、私は、本社の総合システム部（総シ部）に所属しており、必注するため、新日鉄君津の実績を踏まえて、今回のクレーンの自動運転に必要な仕様と新機軸（位置検出方式、機上とのデータ交信方式等）を盛り込み、機上搭載のＣＬＰは、出現したばかりの８ビットワンチップＣＰＵを採用して新シリーズの開発を行うという提案書を作成しました。そして、ＮＫＫの建設本部へ、当時の総シ部の上司Ｔ部長に同行し再三訪れました。Ｔ部長は神戸で製鉄プラントを手掛けられ経験豊富であり、建本部長とは懇意の仲でもありましたので、遂に名古屋製作所で新ＣＬＰの御立会い試験を行う事になりました。]]>
      
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   <title>三菱FA事業の“胎動期”（前編）</title>
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   <published>2008-09-16T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-11-07T08:09:29Z</updated>
   
   <summary>杉山氏の入社から１０年遡った、１９６２年に私は入社しました。この時期は、テレビ、...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[杉山氏の入社から１０年遡った、１９６２年に私は入社しました。この時期は、テレビ、ラジオなどの家電製品に半導体部品が採用され始め、真空管製品は瞬く間に無くなりました。トランジスタなどの半導体素子が量産され入手し易くなり、少量使用の産業機械制御分野へも応用が進み、産業エレクトロニクス化時代の第一幕“胎動期”があけた頃でした。<br><br>

ちなみに、Ｗｉｋｉｐｅｄｉａで≪トランジスタ≫と≪ムーアの法則≫を検索しますと、次のように書かれています。<br><br>

<table width="95%" border="0" cellspacing="0">
  <tr>
    <td width="20">&nbsp;</td>
    <td width="815"><strong>トランジスタの発明</strong>は、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/1948%E5%B9%B4" target="_blank">1948年</a><a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/6%E6%9C%8830%E6%97%A5" target="_blank">6月30日</a>にAT&amp;Tベル研究所の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%B3" target="_blank">ウォルター・ブラッテン</a>、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3" target="_blank">ジョン・バーディーン</a>、<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC" target="_blank">ウィリアム・ショックレー</a>らのグループによりその発明が報告されている（この功績により、1956年に<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E7%89%A9%E7%90%86%E5%AD%A6%E8%B3%9E" target="_blank">ノーベル物理学賞</a>受賞）。<br>
この前年の1947年に日本のNHK技術研究所の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E7%A7%80%E7%94%B7" target="_blank">内田秀男</a>がすでにトランジスタに相当する増幅回路の発明を報告していたが、GHQの検閲を受け、発表が取り消された経緯があるとする説がある。<br>
そして、<strong>トランジスタの普及</strong>は、1960年代に入ると、生産歩留まりが上がってコストが下がり、また真空管でしか扱えなかったテレビのような高い周波数でも使えるようになったため、各社から小型トランジスタラジオやトランジスタテレビが発表される。さらに高い電力や<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E8%B6%85%E7%9F%AD%E6%B3%A2" target="_blank">UHF</a>での使用が可能になる1970年までには、家庭用テレビやラジオから増幅素子としての真空管が姿を消す。<br>
トランジスタはその後も集積度を高めて、ICや<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/LSI" target="_blank">LSI</a>といった<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E7%A9%8D%E5%9B%9E%E8%B7%AF" target="_blank">集積回路</a>へと進化する。<br>
そして、Electronics Magazineの１９６５年４月１９日号で、<strong>ムーアの法則</strong>が発表された。“最小部品コストに関連する<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E7%A9%8D%E5%9B%9E%E8%B7%AF" target="_blank">集積回路</a>における<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%82%BF" target="_blank">トランジスタ</a>の集積密度は、18~24ヶ月ごとに倍になる”という経験則である。<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AB" target="_blank">インテル</a>の共同創業者<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2" target="_blank">ゴードン・ムーア</a>氏が提唱した。<br>
この<strong>集積度の推移</strong>は、１９７１年の<strong>ワンチップCPU４００４</strong>の出現以来、２００４年の<strong>Itanlum２</strong>までの３３年間、ほぼ２４ヶ月毎で２倍のペースで集積度が上昇したことがグラフ表示されている。
    </td>
  </tr>
</table>
<br>
とあります。ＦＡ事業の発展と家電のトランジスタ化とが連動していることに、当然のことながら驚き、興味が惹かれます。<br><br>
０２）トランジスタの発展期と連動したＦＡ事業の“胎動期”の始まり<br><br>

私の入社当初、クレーン、ロープウェーイ等の荷役搬送機械の制御盤設計課に配属され、制御盤の板金設計、盤内の主回路電路図・制御配線図の作成から始めました。制御回路の先端技術として無接点化が開始されていました。AND、OR、Flip-Flop等の基本回路をトランジスタ回路でモジュール化したものをトランジスタリレーモジュール（TRM）と称し標準化されていました。これらのTRMを組み合わせて制御ロジックを設計し、所用のTRMをパネルに配列し、バックパネルの入出力ピンをハンダで結線して回路を構成し、その出力をトランジスターアンプで増幅して、電磁継電器・開閉器などを駆動する、所謂‘無接点リレーによるワイヤードロジック方式’が行われていました。<br><br>

一方、主回路は巻線型誘導電動機の回転速度のフィードバック自動制御が行われていました。電動機の一次主回路の２相に可飽和リアクトルを挿入し、リアクトルの制御巻線にDC電流を加減することにより、モーターに印加する電圧をコントロールします。当時はパワートランジスターの容量が小さく、サイリスターアンプで増幅して可飽和リアクトルを励磁制御していました。この様に、モータの駆動制御を中心に半導体部品が採用され、制御性能が向上した時代です。<br><br>

<a name="01"></a>その頃、三菱長崎造船所で３０万ｔドックが建造されることになり、高さ６０ｍ×幅６０ｍの門型クレーンがドックを跨ぎ、ドッグの長手方向に走行する‘ゴライアスクレーン’２基の電機品を受注していました。船穀工場から大型船穀ブロックを２基のクレーンで４点共釣りし、巻上げ、横行、走行の各軸の複数モータを揃速制御で搬出し、ドック上でブロックを各軸連動制御して反転させ、溶接組み付けする制御システム電機品１式です。この様な初めての大規模記録品を受注して、幾つかの開発項目を受注オーダで開発してしまうメーカも勇敢ですが、それを任せるユーザも大した度胸でした。設計課内の敏腕開発担当のY係長が、いとも簡単そうに新機軸の開発を指導されていました。その中の一つを新人の私に課せられました、クレーン制御の心臓部とも云える<a name="01"></a>「リアクトル制御のサイリスタ点弧回路ユニット」でした。学生時代、チンプンカンプンで受講した自動制御理論です。モータのタコジェネから検出した速度と基準速度とを差動アンプを通してサイリスタの点弧を自動制御するユニットの開発です。最新の<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%BF" target="_blank">サイリスタ</a>のトリガ素子として開発された安定な高出力パルスが得られるユニジャンクショントランジスタ（UJT）を使い、前段の差動オペアンプ部をトランジスタ、抵抗、コンデンサなどの素子をラグ板に初めて半田ゴテを使ってバラック組立てし、恒温槽へ入れて特性データを採り、Y係長に報告・改造を繰り返してやっと完成しました。半田の煙を吸い、喉をやられ変な咳きが出ました。]]>
      
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   <title>杉山彰氏の三菱電機FA事業のご足跡を偲ぶ</title>
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   <published>2008-09-08T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-09-08T03:00:04Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[去る7月24日、三菱電機㈱より、“杉山上席常務執行役におかれましては、かねてより病気ご療養中のところ、ご養生かなわず、７月２２日（火）にご逝去されました。” との訃報に接しました。同氏は１９７２年に技術職として三菱電機㈱に入社され、名古屋製作所に配属されて以来、FAシステム事業の草創期から一貫して携われ、同製作所のＦＡシステム部長、製作所長を経て、本社の上席常務執行役・ＦＡシステム事業本部長を０６年度まで歴任されました。FA事業開発の草創期の苦闘を乗越え、当社業績を支える大きな柱にまで成長させました。そして０７年度より、これまでの事業経験を活かし全社事業戦略の企画推進の担当役員として活躍を嘱望されている最中に倒れられ、逝ってしまわれました。ＦＡ事業の逸材として大成され、これから全社レベルでのご活躍が大いに期待されるなかで、誠に慙愧に耐えない気持ちで一杯です。私は、杉山氏より10年早く入社し、同じ道を一緒に歩んできた仲間の一人です。氏の仕事に立ち向かうタフさとバイタリティの凄さを知れば知るほど、それを頼りにして一緒に戦ってきた戦友として、あまりにも若く、呆気なく病に倒れ、逝ってしまわれたことを現実として受け止め難いのです。<br><br>

今年の10月に、名古屋製作所にＦＡシステム部が誕生して20周年を迎えます。不肖私が初代の部長を任じられた縁もあり、現在の部長のＴ氏から、「ＦＡシステム部20年のあゆみ」の編纂に当たり、寄稿を依頼されていました。10年前に発行された「10年のあゆみ」にも寄稿していましたので、それを探し出し当時の内容を読み返し、今度は何を書こうかと思案して、原稿を仕上げ提出したのが7月下旬でした。その直後に杉山氏の訃報に接したのです。この前の10年史を編纂された当時の部長は、まさに亡くなられた杉山氏だったのです。今年の４月頃、ご本人から快方に向われているとの電話を頂きましたので、復帰されることを信じて快復を待ち望んでいた矢先のことでした。ともに20年のお祝いができることを楽しみにしていましたのに、帰らぬ人となられました。多くの一緒に仕事をされてきた方々も落胆一入だと思います。<br><br>

このブログをかりて、三菱電機のＦＡ事業の胎動期・草創期にあった事柄を回想して、『杉山彰氏の三菱電機ＦＡ事業のご足跡を偲ぶ』を捧げ、ご冥福を祈りたいと、以下に記憶を手繰り、書き進めさせて頂きます。（以下で、杉山氏を“彼”と書かせて頂きますことをご容赦下さい）<br><br>

０１）１９７２年（Ｓ４７年）彼の入社当時のこと<br><br>

彼は入社して、名古屋製作所の‘配電変圧器設計課’に配属されましたが、暫くして、彼の上司Ｓ課長に伴われて、私の所属する‘制御盤設計課’のT課長席に訪れてきました。そのうち、私もT課長の席に呼ばれました。そして、Ｓ課長が私に、“彼は、変圧器設計は性に合わないと泣きつくんだよ！　君のところで使ってくれないか？”と言われ、あまりにも唐突なことで返事に窮しました。名古屋製作所が担当する配電用中容量変圧器は量産製品で、当時熾烈なシェア争いが行われており、有為な新人が欲しいと、頼み込まれて配属して貰ったばかりでしたが、S課長の大学の後輩でもある彼の願いを無視するには忍びないと、頼みに来られたとのことでした。私は、当時‘自動化グループ’の主任をしていました。クレーン・コンベヤの自動化システムの設計担当で忙しくしていましたが、プロジェクト崩れなどで、儲からず、新人配属は夢のような話で、願ってもないとでこちらからも懇願しました。これが彼との出会いでした。後々にも折りに触れ“佐竹さんに拾って貰った”と云ってくれました、そして、身を粉にして大活躍をしてくれました。<br><br>

彼が‘自動化グループ’に入っての初仕事は、奈良・吉野の社員旅行の幹事役でした。当グループは、女性２人を含め８人ばかりの少人数でしたが、全員参加の旅行をしました。彼は、関西育ちの地の利を生かして、当時としては珍しい「貸し自転車乗り捨て」のちゃめっ気たっぷりのユニークツアーを企画してくれ、皆で大いに楽しみました。<br><br>

彼は、仕事を選り好みするタイプかと少々心配しましたが、意外にも幹事としてグループ員と一遍に親しくなり、上手にツアーの舞台回しをし、みんなの人気を博したことが印象に残っています。長じても、磊落で、度胸のいい所、舌を巻くことしばしばありました。<br><br>

次回から、彼が１９７２年に入社しFA事業の‘草創期’で活躍する時代を、さらに１０年を遡り、６０年代から７０年代へつながる‘胎動期’を回想します。]]>
      
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   <title>『武士道』</title>
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   <published>2008-09-01T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-09-01T03:00:05Z</updated>
   
   <summary>『武士道』　新渡戸稲造著　奈良本辰也訳・解説　三笠書房　&amp;#165;495 去る...</summary>
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         <category term="お勧めの記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[『武士道』　新渡戸稲造著　奈良本辰也訳・解説　三笠書房　&#165;495<br><br>

去る4/07/08更新の≪お勧め書籍≫で紹介した阿川弘之の『大人の見識』で引用されていたので、本屋の棚で、一杯並んでいるのが目に入り、売れているのかと驚き、つい手が出てしまった。明治の著者が、日本の精神文化の根幹をえぐり出した慧眼は流石である、今こそ日本がブレない様に、再認識すべきだと思った。奈良本氏の訳本で読みやすい。]]>
      
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   <title>第19回：ＤＭＳ展リポート－Ⅱ</title>
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   <published>2008-09-01T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-09-10T10:34:33Z</updated>
   
   <summary>先々回のブログのそのⅡとして、ＤＭＳ展の見学記の続きに戻ります。先に述べました様...</summary>
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         <category term="記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[先々回のブログのそのⅡとして、ＤＭＳ展の見学記の続きに戻ります。先に述べました様に、私がＤＭＳ展に抱いた興味は、今回新たに『技術伝承ゾーン』が設けられたことと、昨年から始められたと云われる『トレーサビリティゾーン』でした。後者の関心は、ここ１年ぐらい、食品などの偽装問題が頻発しました。製造のグローバル調達が進展し、社会問題にまで発展し、企業存亡を問われる事件にも発展しています。特に食品加工などでは、これまでの国内製造での慣習を準用していてはいけない、品質管理の内容に含めなければならないという気運が高まっています。但し、製造履歴は社外に透明性をもって公開しなければならないという点では、これまで行われてきた品質改善のデータなどは固有技術の範疇に属し社外秘扱であり、技術伝承のための情報漏洩策とは異なり、相反する性質の情報です。私は、どのように扱うかの問題意識があり、両方のゾーンを見学したいと思っていました。<br><br>

見学の当日、６月のブログで登場願った、米国・シリコンバレーでベンチャーを起業する飯田くんが丁度、日本に来ており、三菱電機ブースで久方ぶりに再会しました。彼は前に紹介しました様に、Ｍ２Ｍの応用としてリモートセンシングとネットワークに関心をもっており、私が行こうとするゾーンに関心があり、一緒に回ろうと云うことになりました。<br><br>

０１）トレーサビリティゾーン<br><br>

<table width="95%" border="0" cellspacing="0">
  <tr>
    <td width="20">1.</td>
    <td width="815">二チゾウ電子制御㈱：「見レコ」生産ライン映像記録システム</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>&nbsp;</td>
    <td>各生産ラインの要所にカメラを設置し、</td>
  </tr>
  <tr>
    <td align="right" valign="top">&nbsp;</td>
    <td><table width="102%" border="0" cellspacing="0">
      <tr>
        <td align="right" valign="top">・</td>
        <td>検査結果やモニタ画面をワンショットで記録；クレームなど対応で工場内で発生した問題の追跡に活用する。</td>
      </tr>
      <tr>
        <td align="right" valign="top">・</td>
        <td>製造過程の記録；製造中の製品と作業の映像（重要箇所のズームアップも可）を記録；バーコード、ＦＲＩＤ、ＰＬＣなどで読み取った製番、固有番号と紐付けする。</td>
      </tr>
      <tr>
        <td align="right" valign="top">・</td>
        <td>機械のチョコ停解析；忘れた頃に発生する機器故障の映像を記録し、タッチパネルモニタを操作し、発生前後の映像をその場で確認できる。カメラは可搬になっており製造ラインのどこにでも簡単に設置できる。</td>
      </tr>
    </table></td>
  </tr>
  <tr>
    <td align="right" valign="top">&nbsp;</td>
    <td>これらの映像をアクセスして、製品のトレース、製造データの検証、手作業分析が行える。説明員の話の中で、“海外工場へ指導に行って、帰ってくるとすぐに問題が起こる。この様なケースで再出張しなくても、リモート指導ができるので役立っている。”が印象に残った　。</td>
  </tr>
</table><br><br>
<table width="95%" border="0" cellspacing="0">
  <tr>
    <td width="20">2.</td>
    <td width="815">協立システムマシン㈱：リアルタイム設備稼働管理システム</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>&nbsp;</td>
    <td>ＲＦＩＤを設備カード、作業者カード、指示書カードに取り付け、それぞれの作業ステップで、いつ？どこで？だれが？なにを？を紐付けして工場ＬＡＮ（Ex.
    CC-Link）で、生産進捗、設備稼働集計・稼動データのＤＢに収集され、ユーザの生産運用にあった見方で、いつでも見たいところが「視える！」とある。<br>
    説明員が云っていた、“薬局の調剤・調合のマニュアル操作のミス防止にも応用されています”と、食の安全、偽装防止にも役立ちそうである。</td>
  </tr>
</table>
<br>
０２）技術伝承ゾーン<br><br>
<table width="95%" border="0" cellspacing="0">
  <tr>
    <td width="20">1.</td>
    <td width="815">（株）トヨタケーラム：新しいナレッジのかたち「指南車」</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>&nbsp;</td>
    <td>当社では、中堅社員の業務増加、熟練者の技術・技能伝承、品質トラブル頻発の３つの問題に対処するため、「指南車」と呼ぶナレッジのかたちを形式化し、知識を蓄積する人と、知識を活用する人へのナビゲーションシステムを開発した。<br>
    例えば、熟練者の作業ノウハウの伝承では、熟練者のコツやベテラン作業のデジタル化、若手の失敗や対処方法を簡単に追加でき、逐次参照もできる。<br>
    また、作業品質の確保と効率化には、蓄積された作業手順（フローチャートで、逐次指示するナビゲーション）をノートＰＣにダウンロードし、現場に持ち込むことができる。</td>
  </tr>
</table>
<br>
<table width="95%" border="0" cellspacing="0">
  <tr>
    <td width="20" valign="top">2.</td>
    <td width="815">（株）テプコシステム：技術継承支援ツール<br>
    &nbsp;&nbsp;&nbsp;「ｅＰｏｗｅｒ／Ｋ－ＳＨＯＷ（イーパワー／ケイショウ）」</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>&nbsp;</td>
    <td>当社は東京電力の関連会社で、発電・配電所設備などを点検する非定常作業を技術伝承するための支援システムを実用開発した。そして汎用化して色々な業種、サービス業のマナー教育、スポーツ・リハビリ指導などにも利用出来るようにした。「直感的な操作」で簡単に操作できる！ツールの専門知識は不要であると云う。動画で伝えるＷｅｂラーニングコンテンツの作成・編集のためのオーサリングツールは、当社のソフトウェア製品であるが、これで作成したコンテンツは、Internet Explorer6.0以上、Windows　Media　Player9以上がパソコンに入っていれば閲覧可能となる。よって、ユーザにとっては再生専用のソフトウェアは必要ではなく、上記の条件を満たしてるパソコンであれば、グループで簡便に共用できる。このツールの他業種への販売促進活動として、セミナーが活発に行われている。</td>
  </tr>
</table>
<br>
０３）その他<br><br>

<table width="95%" border="0" cellspacing="0">
  <tr>
    <td width="20">1.</td>
    <td width="815">日立のＵＨＦ帯ＲＦＩＤ“&#956;-Chip-Hibiki</td>
  </tr>
  <tr>
    <td>&nbsp;</td>
    <td>プライバシィー・企業情報の保護機能を搭載した新モデル</td>
  </tr>
</table>
<br>
<table width="95%" border="0" cellspacing="0">
  <tr>
    <td width="20">2.</td>
    <td width="815">エプソン販売の指紋認証プリンター</td>
  </tr>
</table>
<br>
など、興味を惹いた。<br><br>
飯田君との帰途、“今年は、大手メーカばかりでなく、中堅システム・ソフトベンダーなどが出てきて、ＤＭＳ展が変わってきて面白くなった！　日本の製造業はサービス業化してきたのかねぇ～”と話し合った。]]>
      
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   <title>製造の『ＫＥＭ』のあり様は？</title>
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   <published>2008-08-25T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-08-25T03:00:04Z</updated>
   
   <summary>前回のブログで、三菱電機FAが、MX MESInterfaceITユニットを開発...</summary>
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         <category term="記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[前回のブログで、三菱電機FAが、MX MESInterfaceITユニットを開発し、SOA基盤の上で、IBMの開発したセンス・アンド・レスポンドの仕組みと組み合わせることで、俊敏性の高いシステムの構築を可能にしたことを紹介した。センス・アンド・レスポンドは、BPM (Business Process Management) の技術であり、ESB (Enterprise Service Bus)で接続された現場のデバイスや設備から、SAPに代表されるような基幹系アプリケーションまでを、ビジネス・プロセスの中で統合することができる。デモで接続されていたMaximoはそうした基幹系アプリケーションの例ということになる。これにより、操業しながらプロセス・ルールを進化させるＰＤＣＡサイクルをリアルタイムに実行することができ、ＦＡ－ＩＴ間のボトルネックの解消ができることが示されたと言える。<br><br>

さて、果たして、このシステムインフラを使いこなし、俊敏な製造現場を含む操業システムを実現することが出来るかどうかが課題である。システムの上位管理層のＳＯＡを使いこなすＳＥの人材は比較的豊富であり、欧米では既に実現している手本も多いと思われるが、「和魂ＦＡ・洋ＩＴ」の人材は、操業しながら自ら養成するより他に道はない。<br><br>

言うまでもなく、‘和魂ＦＡ’を体現しているベテランは希少価値である上に、製造知識を扱う‘洋IT’を使いこなせる人材は皆無に等しい。一方、‘洋IT’を使える若手で、製造現場の経験者はいない。このような条件下で、何とか製造業の生き残りを賭けてやらなければ始まらない。<br><br>

去る７月７日更新のブログで引用した日経記事、<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/07/0707.html#01">“今を読み解く”のコラムに、LCA大学院大学の副学長　森田正規氏の「技術継承のカギは個別性；　時代にあった自社流で」</a>の中に、<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/08/book0819.html">岸宣仁著『デジタル匠の誕生』</a>という本が紹介されていました。早速買ってきて読みました。「はじめに」の項に、“ITはこれまで、放送・通信を中心とする第３次産業のサービス、携帯の進化をイメージし勝ちであるが、第２次産業の製造業にも猛烈な勢いで浸透している。「匠のデジタル化」―　ひと言でいえば、それがキーワードである。日本のモノづくりのお家芸であった「匠の技」が、０と１の信号で処理される「デジタル情報に置き換わっている現実を直視しない限り、グローバルな競争で生き残りは難しい。見方を変えれば、「IT（情報技術）とMT（製造技術）の融合」が奔流のような勢いで進み、モノづくりの世界に新次元のパラダイムシフトが起きている。製造業の現場は、デジタルエンジニヤリング（DE）に大きくシフトし始めている。”と警告している。<br><br>

まさに、ここにある『デジタル匠』を産み、育てて、日本のモノづくりのお家芸をパラダイムシフトさせなければならないのである。<br><br>

この方法論として、７月２２日更新の末尾に掲げた、所謂、事務系の知識処理「洋ＩＴ」の進め方として、<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/07/post0722.html">アクト・コンサルティング（取締役・経営コンサルタント　野間彰）；意思を持って知識活用を加速する「ナレッジ・エボリューション・マネージメント『ＫＥＭ』」の勧め</a>を引用し、製造知識のエボリューションの有り様は？　を考えて見たい。<br><br>

<strong>０１）ある大手企業の情報システム子会社Ａ社の事例1</strong><br><br>

親会社以外の顧客からの受注量を増やし，事業拡大を図る目的で，『ＫＥＭ』の全社展開を目指した。A社のナレッジ・マネジメント・システム（ＫＭＳ）の進化のプロセスは、次の三つのフェーズに分けられる。<br><br>

第1フェーズは、「ナレッジ共有」である。営業の提案実績のデータベース化で，提案書を作成する生産性が向上した。<br><br>

第2フェーズは、「業務革新」であり，有能者のナレッジを活用する方法を仕組みにして，組織全体に広げる段階である。商談成約の勝率を向上させるナレッジを各部門長が率先して収集し，セールスや提案に活用する業務プロセスを確立した段階がこれに当たる。しかし、その効果は部門によりバラつきが大きく出ていた。<br><br>

第3は，「事業革新」で，事業運営の考え方や仕組みを革新するフェーズである。同社が独自に目指す新しい事業サイクルを指した。<br><br>

しかし、この進化は，偶然によってもたらされたと言っても過言ではない。事務局の中に，ＫＭＳを単なるナレッジ共有のツールにとどめず，大きな成果を上げたいという執念を持った人間がいた。彼は、全社の中にa事業部長が自主努力によってＫＭＳをうまく活用しているのを見出した。これらの偶然が重なって，A社のＫＭＳは進化した。他の会社ではこの様な偶然が起こらず，恐竜のように絶滅寸前のＫＭＳも数多く存在している。そうは言え、進化のスピードに問題があった。第2フェーズに到達するまでに，3年以上の歳月を要し、第3フェーズの事業革新は未だ推進途上である。3年間，事務局は与えられたリソースと予算の範囲で努力した。そして、経営者が積極的に参画し始めたのはフェーズ3の企画が上がってからである。果たしてＫＭＳの進化は，偶然に委ねる以外に方法がないのか？　それを打開するのが本題のテーマ：『ＫＥＳ』である。<br><br>

<strong>０２）ナレッジ・エボリューション・マネジメント『ＫＥＳ』</strong><br><br>

経営者が必要なリーダーシップを当初から発揮し，意図を持って進化を加速することは可能であると考える。これが『ＫＥＳ』である。<br><br>

ナレッジ・エボリューション・マネジメントの成功要件は二つある。「最大ポテンシャルを追求したビジョン構築」と、もう一つは「経営者のリーダーシップ変革」である。Ｂ社の実例を挙げて説明している。<br><br>

<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/07/post0722.html">続きは、上記のお勧め記事を参照；　進化の要件１），２）へ直接リンク出来ます。</a>]]>
      
   </content>
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   <title>第19回：ＤＭＳ展リポート－Ⅰ</title>
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   <id>tag:www.fa-it-research.com,2008://2.93</id>
   
   <published>2008-08-19T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-08-20T01:08:45Z</updated>
   
   <summary>去る６月下旬に東京ビッグサイトで開催されたＤＭＳ展（設計・製造ソリューション展）...</summary>
   <author>
      <name></name>
      
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         <category term="記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[去る６月下旬に東京ビッグサイトで開催されたＤＭＳ展（設計・製造ソリューション展）へ三菱電機のＦＡ事業の方々から今年は新しい展示をしていると勧められ、見学する機会を得ました。今年は「技術伝承ゾーン」を新設されたことと、昨年からの「トレーサビリティーゾーン」もあるとの情報もあり、興味があったので、しばらく振りに行ってみました。まず三菱電機のブースへ訪れたところ、例年もまずまず賑わっていましたが、今年は格別賑やかで、プリゼンテーターがステージと、展示エリヤとを駆け回って掛け合いを賑やかにやっています。聴衆の方々も熱心にメモを取って聞いていただいている。展示ボードには、『　現場から経営までをダイレクトに接続；　《～e-F@ctry　がＳＯＡを手に入れた～》　』のキャッチが踊り、製造現場の三菱ＰＬＣが新ユニット“MX　MESInterfaceIT”を介して、ＩＢＭのエンタープライズ・アセット管理システムであるMaximoと直接ドッキングしている統合システムになっています。辺りをきょろきょろしていたら、e-F@ctoryシステム開発の中心人物のＷさんが目ざとく見つけて説明をしてくれました。過去のブログで何度かぼやきましたが、“情報システムベンダーは、製造現場のことはＦＡベンダーにお任せで、あまり情報連携に踏み込んで来ない！”という先入観があり、思わず、“ＩＢＭは本当にやってくれるのかい？　製造科学技術センターでやっているＭｆｇＸのＭＥＳＸプロジェクトとはどうなるの？”と質問しましところ、ＩＢＭはＳＯＡソリューションでＭＥＳ領域まで踏み込んで三菱と連携開発を進め、実現したと、云います。ＩＢＭも遂に製造現場に熱心になったのかと感心することしきりでした。<br><br>

その構成図を掲げます。<br><br>

詳しくは、三菱電機e-F@ctory関連資料を参照下さい。<br><br>

<img alt="1-1.gif" src="http://www.fa-it-research.com/1-1.gif" width="490" height="354" /><br><br>

それにしても、私の認識では、２～３年前、ＳＯＡ（Service　oriented　Architecture）が大いに喧伝されましたが、昨今ではあまり耳にしないので、半信半疑でした。しかし、GoogleでSOAを検索し、現在はホットになっていることが分り、大いに認識を改めました。先刻ご承知の皆様も多いことと思いますが、以下にその内容を紹介します。<br><br>

<a href="http://www.fa-it-research.com/2008/08/post0819.html">参照；《解説》：「SOAとBPM」の相関を理解する；システム俊敏性のさらなる向上をはかるためのアプローチ／栗原潔　テックバイザージェイピー代表</a><br><br>

説明の要約として、本文中の図が、的確に表現されており、それにコメントを抜粋します。詳しくは本文を参照されたい。<br><br>

０１）俊敏性──今日の情報システム、真の差別化要素<br><br>

<img alt="1-2.gif" src="http://www.fa-it-research.com/1-2.gif" width="510" height="247" /><br><br>

情報システムの差別化要素について考えてみると、過去においては、処理性能の高速化が一義的だった時代や、低コスト化が一義的だった時代があった。そのあと、ERPなどの統合業務アプリケーション・パッケージが台頭し、タイム・ツー・マーケット（アプリケーションをサービスインできるまでの期間）の短縮に力が注がれることとなった。そして、今や情報システムの真の差別化要素となっているのは俊敏性（アジリティ）、すなわち環境の変化に迅速に対応できる能力と、柔軟性、すなわちシステム自身が変化できる幅である。<br><br>

０２）BPMとSOAの組み合わせによる俊敏性のさらなる向上<br><br>

<img alt="1-3.gif" src="http://www.fa-it-research.com/1-3.gif" width="508" height="301" /><br><br>

ＥＳＢ（＝Enterprise Service　Bus ）、ＢＰＭの両技術と親和性の高いＳＯＡを組み合わせるというアプローチである。ＥＳＢは、ＳＯＡのサービス間の やり取りの中継地点となり、サービス呼び出しの制御を行うためのミドルウェアである。ＢＰＭはビジネス・プロセスと関連するビジネス・ルールを設計し、プロセスの実行フローを制御し、プロセスの実行状況を監視、可視化するなどの機能を提供するミドルウェアである。ＥＳＢは、「バス」という名のとおり、基本的にサービス間、つまり、ビジネス・サブプロセス間のやり取りをすべて補足できる場所である。すなわち、ＢＰＭが提供する機能を実現するのに、ＥＳＢは最適な場所ということになる。<br><br>

０３）情報システムのボトルネックを解消<br><br>

<img alt="1-4.gif" src="http://www.fa-it-research.com/1-4.gif" width="303" height="268" /><br><br>

今日の情報システムにおいては、計画（Plan）、実行（Do）、分析（Check）、対応（Action）というＰＤＣＡサイクルの一連の流れにおいて、特に分析と対応の間にボトルネックがあるケースが多い。例えば、ビジネスの現状をリアルタイムに分析し、問題点が明らかになっても、それを迅速にシステムに反映させることができずに、全体としての俊敏性が実現できていないという状況だ。こうした状況下において、ビジネスとＩＴの整合性が高いＢＰＭとＳＯＡの組み合わせは、ボトルネックを解消し、俊敏性を全体的に向上できる可能性が高い。将来的には、現場のプロセス上の問題点を検知した際、自動的にプロセスのパラメータを調整する「自己最適化型の情報システム」が現実のものとなることが考えられる。<br><br>

以上は、情報処理系のシステムにおいて、昨今では俊敏性を求められ、システムを運営しながら、社内外の変化に追従しＢＰＭのビジネス・ルールを進化させて、ＥＳＢを介してフレキシブルに対応している方法を述べている。従来のＥＲＰでは、製造現場のＦＡシステムとのやり取りは粒度の大きい指示・報告の内容でシェークハンドが行われていた。そのため製造現場レベルのＰＤＣＡ改善に留まっており、全社的改善へ展開するボトルネックが大きいことに気づきながら、このギャップに踏み込めないでいた。<br><br>

今回、ＩＢＭと三菱電機がこのボトルネックを取り払い、その俊敏性に真っ向から取り組んだ意義は大きい。<br><br>

また、三菱電機では、ＩＢＭ協賛で9/9東京、9/11名古屋にて<a href="http://wwwf1.mitsubishielectric.co.jp/e-factory/seminar/index.html" target="_blank">ＦＡ-ＩＴの統合による、新経営戦略のご提案e-F@ctoryセミナー</a>を実施する。]]>
      
   </content>
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   <title>「SOAとBPM」の相関を理解する</title>
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   <published>2008-08-19T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-08-19T03:00:07Z</updated>
   
   <summary>☆《解説》：「SOAとBPM」の相関を理解する； システム俊敏性のさらなる向上を...</summary>
   <author>
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         <category term="お勧めの記事" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[<a href="http://www.computerworld.jp/topics/soa/104449-1.html" target="_blank">☆《解説》：「SOAとBPM」の相関を理解する；
システム俊敏性のさらなる向上をはかるためのアプローチ　
／　栗原潔　テックバイザージェイピー代表（2008年04月25日） </a>
ビジネス環境の目まぐるしい変化に企業の情報システムが迅速に対応できるようにする「俊敏性」を備えるための手法として、SOA（サービス指向アーキテクチャ）が注目を集めて久しい。本稿では、SOAがなぜシステムの俊敏性というメリットをもたらしうるのかをあらためて確認したうえで、そのメリットをより向上させるためのアプローチである、SOAとBPM（ビジネス・プロセス管理）の組み合わせについて考察する。]]>
      
   </content>
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   <title>「ものづくり日本」を再生せよ</title>
   <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.fa-it-research.com/2008/08/book0819.html" />
   <id>tag:www.fa-it-research.com,2008://2.95</id>
   
   <published>2008-08-19T03:00:00Z</published>
   <updated>2008-08-19T03:00:05Z</updated>
   
   <summary>『ディジタル匠の誕生』「ものづくり日本」を再生せよ 　岸　宣仁　株式会社　小学館...</summary>
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         <category term="お勧めの書籍" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
   
   
   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.fa-it-research.com/">
      <![CDATA[『ディジタル匠の誕生』「ものづくり日本」を再生せよ
　岸　宣仁　株式会社　小学館　&#165;1,600<br><br>

去る7/07/08更新のブログの表題：『技能者の育て上手が、技術継承のコツ』の末尾で、“技術を支える技能は何かを熟考し、それに対応し進化させなければならない。「洋ＩＴ」を駆使して「人を育てるコトづくり」であった。”と書いた。この本の著者は、“日本の製造文化のＤＮＡを「伝統技能のディジタル・マイスター化」で進化させなければならない。ＩＴを日本オリジナルの人材育成の道具として活用すべし”と、図らずも説いている。]]>
      
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