‘モノ売り’から‘サービス売り’への変革の実体験
先回更新のブログ:『「日本流ものづくり」の行方を探る‐Ⅲ』において、アジア開発銀行総裁の黒田東彦氏のインタービュのなかで、“これからの日本のものづくりは、必然的に高度となり、一部はサービス産業になっていく。機器本体が産む付加価値は小さく、大半はソフトウエアやコンテンツなどのサービスになる。モノづくり(ハードウエア製造)依存を変えなければならない。”とありました。
そして、末尾の筆者コメントで、日本の製造業の次なる課題は、「自社のものづくりビジョン」を‘国内視野’から‘グローバル視野’への転換を図ったうえで、個々の社員が、グローバル市場へ飛び出し、新たな時代を躍進して行かなければなりません。
しかし、“これを実践していくためには、社内には従来の慣行のしがらみから、社員が飛躍する行動を妨げる情報システムとか制度、経営評価基準の残滓が残っています。”と述べました。
こう述べましたのは、10年前の2000年、私は、中小規模事務用計算機市場をターゲットとするオフィスコンピュータ(通称:オフコン)の販売会社;三菱電機ビジネスシステム(MB社)へ移り、経営に携わり始めていました。当時、私自身が製品販売(モノ売り)事業からソフト・サービス売り事業への転換で苦闘した体験が蘇ったからです。
三菱電機のオフコン事業の歴史は、1960年代前半、機械式会計機のライセンス製造から始まり、間もなくエレクトロニクスの進化と共に、専用組込みSWで作動する電子機器(モノ)製品、MELCOMオフコンが開発され、90年初頭までオフコン事業の業績は拡大の一途を遂げました。しかし、90年代後半からパソコンベースのクライアント/サーバー・システム(C/S)によるオープンシステムとの競合の始まりを契機に、オフコン事業は凋落の一途をたどっていきました。
一方の私が移りましたMB社の歴史は、70年代初頭にMELCOMオフコンの販売会社として設立され、三菱オフコン事業と共に発展していきました。90年頃までは、相次ぐ高性能機種への新規・リプレース販売と、保守サービスで顧客を囲い込み、‘モノ’を軸とする好事業を展開しておりましたが、2000年に入り、まさに‘モノ’に依存出来ないソフトウエア・サービス事業への自立転換が求められていました。
当時のMB自身の社内会計システムは、製品本体、アフターサービスはそれぞれの売上単位で分けられ、それぞれ期間売上損益(財務会計)で評価する風習でした。その中で、サービス価格は従来の慣行から製品本体価格の%を基準にして期間単位で決められていたのに対比し、製品本体価格は、HW・アプリケーションSW込みで原価構成されており、他社との受注競争にさらされ、比較的厳しい売上損益となっていましたが、サービス売上損益は、安定収益源となっており、製品本体損益を補っていました。しかも、当時は全国の支社・店の傘下に、販売部門とアフターサービス部門が組織化されていたため、支社・店単位で集約されて損益評価されていました。サービス事業は、顧客の次期リプレースへつながる営業活動にも通じるので、手厚くサービス坦当が配置され、固定人件費が大きく掛けられていました。
しかし、2000年以降、C/Sシステムへの移行が余儀無くされると、オープンシステム・コンポーネント(モノ)の市場価格は極端に下り、さらにサービス価格も他社との競合で低下し、製品・サービスともにダブルで悪化し、経営不振が歴然となっていました。
そこで、私が取りました施策は、全社の支社・店のサービス部門を統括する部門を本社に組織化し、CTI(Computer Telephony Integration)を導入し、CRM(Customer Relationship Management)体制を整え、『コールセンター』を開設しました。そして、“サービス部門は、サービス品質の向上を追求するため、期間損益の管理はせず、コストセンターとして扱うこととし、《顧客満足度(=∑満足度指標/期間コスト)》で部門評価する。” と通達し、満足度指標は、作業内容(ex.コールセンター、カスタマーサービス・マンの作業品質指標を、それぞれ部門別に工夫して設け、継続改善の度合いで評価するとしました。
当初、顧客からは、地元の顔見知りのサービス・マンが電話一本で、飛んで来て対応してくれたのが、本社のコールセンターに電話をかけることになり、標準語(東京弁)で応答され、評判が悪かったのですが、運用が順次慣れるに従って、その声は聞かれなくなりました。
一方、社内では、サービス部門は、営業部門の従属的な位置づけであったものが、独自の顧客満足度指標をつくり、その改善成果がビジブル化するに連れ、活性化していき、一定の成果を得ました。