‘産業の「絹の道」’を導く日本の心得
日本は、今や、世界第2位の経済大国の地位を中国へ譲らなければならない程、中国の経済規模は躍進しており、21世紀は、欧米に代わり、日本がリードして、アジア圏が新しいグローバルビジネスモデルを構築して世界経済を牽引する主役となることを、世界から期待されています。
しかし、『アジア新経済帯―‘産業の「絹の道」’』の発展は、将来とも安定的な成長が約束されている訳ではありません。沿海部で稼がれた貪欲な金儲け主義の中国マネーの流れは、自国中西部を頭ごなしに超えて、更に人件費の低い‘産業の「絹の道」’へ向い、順次通り過ぎて行く花見の跡の狼藉三昧、荒れ放題の道になりかねないと懸念されます。
このアジア圏にとっては千載一遇のチャンスをものにし、この金の流れを、通過地域で、産業力と経済力を順次サイクリックに嵩上げし、確固たる経済帯に成長させなければなりません。この‘産業の「絹の道」’を日本が導くことができるかどうか? に掛かっています。アジアで日本だけが栄える道はなく、日本は一連托生で発展するより他はないのです。
一方、現下の中国の製造産業の発展レベルは、北京リンピックを終え、丁度、東京オリンピックの1960年代半と同じとされている。日本は、それから続伸を重ね、90年代直前のピークで頓挫するまで、30年を要した。現在のIT時代では、成長速度も格段に速くなっており、おそらく中国は、成長路線にのれば、その半分以下で到達するであろうと云われている。上手く行けば、この‘産業の「絹の道」’も、中国の健全な成長と連動し、15年後に経済地帯へ発展を遂げることが期待される。
上記の日本の60年~90年の製造産業の成長、続伸時代を支えた製造システムの進化は、先ず60年頃、半導体素子・IC、パワートランジスターが民生用で採用が本格化した。その結果、価格低下と信頼性が向上し、工業用への採用が始まった。次いで、70年代に入り、マイクロプロセッサと半導体メモリが、ムーアの法則による高速、大容量化が年々進み、工業用途への応用拡大が続伸し、工業用コントローラ製品が低価格で高性能化し、使い勝手向上の市場競争に鍛えられ、飛躍的にFA市場が拡大した歴史であった。
三菱電機においては、この時代背景のもとで、60年代は、大型プラントなどの重電システム販売事業と、モータ、NFブレーカ、電磁開閉器、トランスなどの産業機器の単体販売事業と2極化して栄えた時代から、70年代に入り、両事業から一挙に新たに中間的なエレクトロニクス製品のFAシステム・コンポーネント販売事業への転身が求められ、その波に乗ることに成功し、FA事業が大ブレークした時代であった。
以下に掲げる‘Iさん’の挿話は、私のブログをご覧になり、お寄せ頂きました。上記の時代背景の先駆けとして、1956年に入社され、入社1年後、配属先から制御盤設計へ応援に出られ、リレーシーケンス設計を所謂‘棲み込み’体験された時期があり、その後、制御器設計課を経て、FAコントローラ販売の技術サポートで活躍された自分史です。図らずも、当時の「人間中心のイノベーション」の実体験として語られています。これからの‘産業の「絹の道」’を確固たる経済帯へ導く日本の心得として、“現地市場の草の根”に棲み込み、日本流モノづくりを根付かせなければなりません。そのヒントになればと、掲載します。
≪‘Iさん’の自分史≫; 注)文中の《》は下名からの解説を付記
小生がシーケンサー《PLC事業》に関わってどんな事をして来たのか、ご多忙中でしょうが読んで頂けたら有り難いです。
1957/4、一時期、制御盤設計へ応援に出てリレーシーケンスを体験しました。その後、制御器設計で10年間制御器具の開発を担当し、多くのパテントを取得して製品が現場で流れるのを見て誇りに思った事でした。《制御盤設計のリレー応用体験が活かされ、特許を取得された》
82/9、本社CET《Consulting Engineering Team=販売サポート部隊》へ転勤。1年後、上司から機器技術部《かつての上司:Y部長の下でシーケンサを含む技術企画担当》も兼務するよう指示があり緊張しました。日常活動でお客様から聞く声は、概念や機能説明でなく具体的なプログラムの作り方でした。まさか25年前のシーケンスの体験が役立つとは、大いに自信を持ったのを覚えています。当時マニアルも十分でないので、ここにCETの存在価値が有ったのかも知れません。日常何のノルマも無いことから、お客様のほしい「具体的なプログラム例集」を特殊機能カード毎に作ることを思いたち、5年在籍した証に15冊を残しました。
この(具体例)資料はCETの活動効率を高めるためにも、自分なりに考えた対策の1つでした。これは、長年ラインでノルマを達成する事が 当然の習慣から、自ら負荷を作って実施した結果でした。
シーケンサが素人でも有接点のシーケンスを体験した者が、丁度市場の普及期に合致したのかも知れません。作る側でなく使う側からも広く経験出来た事を良かったと思っています。《ユーザの中に‘棲み込む’効用とは、将にこの体験である》
特に力を入れたのは「位置決め制御」で中部支社に転勤後は、トヨタ関連や浅野技研などサーボモータとの販売拡大でした。
99/3、SC(三菱電機システムサービス)に転籍後、名古屋製作所構内をしみじみ歩いて懐かしい一語に尽きたのを覚えています。今池にあるSCのENGセンター所長の元上司Tさんに会いに行った時「君を本社に呼んだのはYさんと相談して決めた」と打ち明けられ、人との繋がりを有り難く思った事でした。FAテクニカルセンターでスクール講師を務めて、2002/3退職しましが、市場で体験した命令語の具体例の使い方を、講師ならぬ「講釈師」をしてきたのが懐かしいです。