「産業の‘絹の道’」へ参入する日本の心得

去る8月13日の日経新聞コラム:北緯23度『アジア新経済帯―‘産業の「絹の道」’』の見出しが目に付きました。その記事には;
中国の製造拠点の広州でさえ、既に人件費高騰が進み、西へ西へ―を合言葉に企業は低コストと市場を求めて一斉に移動を開始した。IT大手の中国電子信息産業集団は2008年、ベトナム国境に近い北海市に産業パークと工場を設け、パソコン関連部品を生産し、東南アジアへの輸出も視野に入れる。欽州市の工業パークにも電子部品や金属加工を手掛ける台湾メーカー10社以上が集中し、進出している。

さらに西へ、中国・雲南省と国境を接するラオス北部の街、ボーテンは中国側から流れ込むマネーで潤っている。03年、ラオス政府は自由貿易区開発の権限を中国資本に委託し、中国資本が開発した「黄金城特区」には展示会場やホテルが建ち並んでいる。タイ、ミャンマー、ラオスの3カ国の国境が接するこの地域を「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれ、ビジネスが活況を呈し、カジノなどの娯楽も繁盛し、ギャンブルに興じるタイ人、中国人、韓国人などが多く見られる。

さらにインドヘの道が延びる、ミヤンマー中部の都市から北西へ飛行機で1時間足らずにある小さな町、カレーミョなどの西部の町は、中国商人がヒスイの研磨作業の担い手を求めて、作業場を設け繁盛している。07年1月に、ミャンマー・インド間の国境が開かれ、ヒスイはこの街から車で3時間の国境を越えて、インド最東部ミゾラム州へも運ばれ加工されるようになった。労働力と市場を求めてインド東部やバングラデシュへと経済フロンティアは西進を続けている、と書かれていた。日本の製造企業は、この旺盛な経済発展の波に乗らなければと、認識を改めました。

そこで、このアジア新経済ベルト地帯の発展にともなうFA市場拡大に対応した日本ベンダーの動きについて、耳よりな話はないかと、三菱電機の名古屋製作所の幹部の‘Aさん’に聞いてみたところ、将にタイミングがよく、同社のインドFAセンター開所式へ行ってきたと、云います。そして、“清 好延さんのブログ;「インド博物館」が面白いですよ!” と、紹介してくれました。

清 好延氏は日本人、40年有余、インドに在住され、現地ビジネスに関わって来られ、‘日本人インド駐在者会の世話人的な存在’の方です。
ブログ;「インド博物館」を開き、目次バー《館長の自分史》、他を閲覧し、《出来事と繰事》の目次ページを開くと、なんと!その中に、『三菱電機インドFAセンター開所式(2009.6.11)』の表題があります。それを見ると、ご丁寧な開所式の情景写真と記述がありました。私が惹きつけらました、次の2件を引用し、コメントを付記します。

01)開所式の情景写真と館長のコメントの意味を考える
ブログの末尾に、“暑い中での出迎えである・・当然のことながら、ここまでやる会社は最近少ない・・感心した・・”と、館長に云わしめたFAセンターの主催側、面々の写真が掲載されています。あたかも日本で開催された情景と全く同じ、律儀にご来賓をお迎えする緊張の面持ちです。
コメント⇒ 清 館長の‘ここまでやる会社は最近少ない’とあるのは、ひょっとして、日本人は、いつしか、欧米流が習い性になり、未開地で教えて上げると、見下した態度が多かったのに対し、三菱は日本での顧客への応対と全く同じ、顧客に‘棲み込む’「日本らしさ」をやってのけたので、“・・感心した・・”と、云って下さったのだと思う。
参照:前回ブログ;『 「人間中心のイノベーション」で日本は優位に 』 は、日本流の‘型’から入るのだ! と、館長に教えて頂きました。

02)インドの「人」を、‘グローバル活用’の視点で、導く
館長の記述に;今後さらに同社がインドにコミットし、将来インド人のセールスエンジニアーを育て世界に打って出ることに、グルガオンFAセンターが役割を果たすことを期待したい。
世界の工場の中でコアとなって働いているインド人スタッフは少なくなく、また、IT関係のSEで成果を上げているインド人も多い。そういう優秀なインド人の才能を利用しない手はなく、またそのネットワークをセールスに利用するのが得策であろう。さらに、インド人は世界で、もっとも優れたセールスマンとの評価もある。インドは市場としてだけではなく、三菱電機の人材確保の場でも有り得る。そういう観点から、今ここにFAセンターを開設したのは誠に時宜を得たものと考える。
コメント⇒ 日本に居座っていては、得がたい貴重な示唆である。

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