三菱FA事業の“胎動期”(後篇)
(前編)で紹介したサイリスタ点弧装置の試作実習の後日談として、このクレーンの現地調整で、品質管理のベテラン社員に同行して長崎造船所へ出張させてもらいました。毎日、現場へ行き、60mある螺旋階段を登り、クレーンガータの上にある電機室へ行き、調整試験の作業をやりました。ベテラン社員は、制御盤のコンタクタ・リレーの動作する音を聞いていて、“佐竹さん、○○のシーケンスがおかしい、図面を見て!”と言います。
私は、自分が作ったシーケンス図でも、順を追って確認しないと原因が判らずモタモタしていると、“××のコンタクタの条件を見て!”と云われてやっとミスが判ること、しばしば経験しました。そして、現調の最終段階で、30mの高さにあるクレーン運転室から30万tドックをへいげいし、操作レバー1本で、2基のゴライアスクレーンの連動運転をしました。技術者としての醍醐味にひたった感動を忘れることは出来ません。
若い頃に、現場第一主義で、この様な厳しさに耐えながら貴重な体験をすることが、何よりの教育であると痛感しました。後で考えると、Y係長が指導して下さったことは、若手技術者の養成法として引継がれた制御盤設計課の伝統であったのだと、つくづくと感入りました。
03)ワイヤードロジックからソフトロジックへの胎動の時代
60年代の中頃は、EDPコンピュータの普及が進み、制御HW(ハードウェア)は、半導体部品を応用し小型化・高性能化が可能になり、当時の私の担当する立体自動倉庫、立体駐車場などのクレーン、コンベヤ制御では、上位コンピュータシステムからの指令により、自動(無人)運転させるシステムが多くなってきました。当初は制御コンピュータによるDDCも考えましたが、移動機械の位置決めとか、コンベヤで搬送する荷物の判別仕分けなどのディジタル制御は、機械側のローカルでコントロールする方が適しているため、クレーン(&コンベヤ)・コントロール・プロセッサー(CLP)と称する専用コントローラを開発していました。ICの集積度が上がるにつれMSI、LSIが普及し、CLPは高機能化していきました。さらにコンピュータのダウンサイズが進み、ミニコンが出現してきましたが、制御用として機能に過不足があり、あまり応用されず、市販のMSI、LSIを使ってディスクリートなCPUを開発して擬似マイクロコンピュータへCLPは進化して行きました。
この時代は、自動倉庫が盛んに建造され、多くのスタッカークレーンの制御システムを納入しましたが、その中で特筆すべき大型システムは、新日鉄君津製鉄所へ納入した‘大型鋼整理ヤードシステム’と称されたプロジェクトでした。製鉄所で、圧延され結束された各種サイズのビル建設用長尺H型鋼を立体倉庫に入庫し、出荷オーダ対応の各種鋼材を船積み計画順(船の重量バランス)に出庫し、船積みヤードへ段取り払い出すシステムです。スタッカークレーン15台と搬送コンベヤ群で構成する大型プラントです。名古屋製作所は、クレーン群の無人運転と、コンベヤ群の総括制御を担当し、鎌倉のコンピュータシステム製作所は、ト-タル管理を受け持つホストコンピュータシステムを担当しました。このような重電的な大型システムは、汎用電機品の量産を得意とする名古屋製作所にとっては不得意の個産システムでしたが、商談開始から現地調整が完了まで3年有余かかり、完遂しました。私は、この間の仕様打合せから現地調整の初期段階まで、プロジェクトマネージを本社の総合システム部に席を置き、名古屋を兼務して経験させて頂き、多くを学びました。特にコンピュータシステムとの連携では、得るものがありました。
前記の大型プロジェクトが一段落した頃、製鉄各社では、多くの天井走行クレーンのオペレーションガイド(オペガイ)が行われていました。製鉄の圧延工場では、スラブなどの中間成品や、厚板、棒材・鋼板コイル等の成品のストックヤードが製鉄所内に存在していました。これらのストックヤードでは、自動倉庫のように入出庫管理をコンピュータで行い、成品の置き場所の番地管理をするようになり、地上から誘導無線を経由してクレーン運転手をリモートガイドするシステムが採用されていました。そこで、NKKが京浜地区から扇島へ移転して鉄鋼プラントを大刷新する方針があり、天井走行クレーン群を新設する機会を利用し、一挙に無人運転化しようとする動きが出てきました。当社では、この受注活動が開始されました。その当時、私は、本社の総合システム部(総シ部)に所属しており、必注するため、新日鉄君津の実績を踏まえて、今回のクレーンの自動運転に必要な仕様と新機軸(位置検出方式、機上とのデータ交信方式等)を盛り込み、機上搭載のCLPは、出現したばかりの8ビットワンチップCPUを採用して新シリーズの開発を行うという提案書を作成しました。そして、NKKの建設本部へ、当時の総シ部の上司T部長に同行し再三訪れました。T部長は神戸で製鉄プラントを手掛けられ経験豊富であり、建本部長とは懇意の仲でもありましたので、遂に名古屋製作所で新CLPの御立会い試験を行う事になりました。