シーケンサー事業の草創期-Ⅱ
三菱汎用シーケンサー(MELSEC)が市場で、好感を持って受け入れられた要因として、欠かせないのが、GPP(Graphical Programming Panel=可搬型プログラミング装置)です。
今や、パソコンが普及しITリテラシィーは上っているのに、なぜ有接点リレー回路しかなかった旧時代に使われていた「ラダー回路表示」が、未だに生きているのか? 疑問を抱く21世紀型の若手の方々に、この装置の生まれ育ち、なお、引き継がれている経緯を解説します。
過去、強電盤の制御に必要な制御ロジックは、電磁開閉リレーの接点でラダー回路を組んでいました。今でも、簡単なロジックは強電盤内に組み込まれています。ロジックを変更するときは、リレー回路の接点の論理を変更するため、接点間の電線を接続変更して行うので、‘ワイヤードロジック’とも言われていました。当初は簡単な論理でしたが、自動化設備が多くなるにつれ、制御内容は複雑になり、リレー盤は大型化しました。1960年代後半に入るとトランジスターが普及し始め、AND,ORなど論理モジュールが使われるようになり、制御盤は小型化しましたが、ワイヤードロジックであることには変わらず、変更は煩雑でした。さらに、半導体はノイズに弱く、その対策に追われるおまけが付きました。
私はこの頃、制御盤の設計者で、盤の組立、工場試験、現地調整で、シーケンス論理の不具合が途中で見つかり、再三変更図面を持って現場へ走り、班長に“設計ミス○○さん”とさんざんいやみを言われ、改造してもらいました。そういう意味で、シーケンスプログラムが容易に組み替えられる‘プログラマブル’というのは、シーケンスを設計し、稼動後も変更が容易に出来ることは、携わる技術者にとっては、夢であり、実現すれば、いわば「福音」でした。
そのころ、制御用コンピュータが出現し、鉄鋼プラント等のプロセス制御が始まりました。そして現場のオペレーションを容易にするため、コンピュータ言語を使わなくても、POL(Problem Oriented Language)で操作できる方式が導入され始められました。その一つに、米国ウエスティングハウスで、ラダー言語でプログラマブルにするPOLが開発されました。それを、12月25日のブログで触れました、1970年頃三菱電機が導入したラダーシーケンスのPOLです。
三菱シーケンサーのGPPは、この時のプログラミングと、動作するシーケンンスをリアルタイムにモニターするマン・マシンインターフェースが、起源となっています。
このGPPは、シーケンサーの本体と連動して発展してきました。むしろ使い勝手という面では、ユーザの要求を実現するには、このGPPからスタートしなければならない事を、初期の段階で身にしみて体験しました。
それは、某自動車メーカのエンジン組立ラインに採用願う際に、生産技術のSさんが、我々が作ったGPPの現物をざっと操作され、使い辛い点を数点指摘され、すぐ直してくれれば採用すると言われたことです。必死になって、徹夜でソフト開発を行い、翌朝来られて、また指摘され、さらに指摘~開発を数回繰り返しました。そのときの開発メンバーは自分でシーケンス回路の設計経験があったので、その要求内容の咀嚼が速く、開発を即応することができました。結果として採用に成功し、GPPの機能も格段によくなりました。この時、つくづくと、メンバーのユーザの要求を聞き取る能力に感謝すると同時に、当社の強みはここにあることを痛感し、顧客と同じ目線で、技術サポートする部隊の養成が急務と思いました。
これまでの説明でお分かりのように、GPPはプログラムの作成から本体のCPUにダウンロードし、動作をモニターする一連の操作を、シーケンスのプログラマー(使い手)に違和感が無い様に、自在に操作できるように発展してきました。開発の草創期の製・販チームで同意した主旨“使い勝手が良くなることはソフトでやれることは何でもやる!”精神が継承されたものと確信します。
今日に至るまで、色々なシリーズの変遷の中で、培われた知識・ノーハウが階層化され、貴重な知識ツールを集大成する基盤が強化できたと思われます。
今後は、GPPに集積された基盤は、何なのかを深く考える必要があると思います。今まで、GPPをプログミングツール中心にやってきたなかで、ソフト体系が移植可能になり、『見える化』のツール「表示器」になりました、プログラミングソフトをパソコンパッケージソフトにしました。ここまでは単なる派生した製品開発です。
次なるニーズへもっと活用できるのではないでしょうか?
前々回のブログの末尾に;「機械と人をつなぐ=自働化」を推進するツールと書きましたが???