シーケンサー事業の草創期 - Ⅰ
三菱電機名古屋製作所では、シーケンサー事業の元年は、1980年3月、「シーケンサー」という機種名を組織名につけた「シーケンサー設計課」が設立された日を起点としています。
下記に、当時を振り返り、エポックになった事柄を列挙します。
下記に、当時を振り返り、エポックになった事柄を列挙します。
| 01) | 製販一体となった製品企画 | ||||
| この元年に至るまでに、重電指向の製品を汎用機器販売用へモデルチェンジした製品を78年、79年と毎年、立て続けに発売しましたが、品質、機能、形状とも顧客の不満が多く、販売店、営業・技術サポート部門からもクレーム続発しました。その頃、ワンボードで成功していた姫路製作所へ統合すべしとの声も出ておりました。市場では、先行するO社が斬新なモジュールタイプを発売し競争も激化していました。その様な状況下で、新規一転し、シーケンサー設計課を設立するとともに、販売側が同意する仕様と価格で新モデルを80年10月発売、12月出荷で開発すると、名古屋製作所が背水の陣で決意を表明したのです。 そこで、5月のゴールデンウィークを返上して、製・販の実務を担当する主要メンバーが中部支社の会議室にこもり、連日製品企画の検討を実施しました。工場側のスタンスは、次の2点で協議しました。
結果は、販売側のメンバーは、前の機種で現実に苦い経験を重ねているので、濃密な議論が出来ました、お互いの言い分を解って、同意点が得られました。また、そこで得た新しいアイデアもありました。例えば、先回のブログ12月25日更新で少し述べましたが、「シーケンス機能に加え、データの取り込み、そのデータの‘加減乗除’と、そのデータの出力をフローチャート式ではなく、接点のラダー回路のように扱えるようにすること」でした。但し、「データの‘乗除’は、初期段階ではその応用の技術サポートは当社の体制が不十分なので、当面は‘加減’だけでアッピールする」と云うことまで決めました。 この様に、徹底した話し合いが終わり、販売側メンバーが“工場側がここまで、言い分を理解し、本当に実現してくれたら、売れない言い訳が出来なくなった! 機器事業部が専売する製品、その頭文字‘K’をとって《Kシリーズ》と命名しよう!”と云ってくれました。我々工場メンバーは、この言葉に感動すると同時に、強い決意を抱きました。 |
| 02) | 品質最優先の方針 |
| これまでのシーケンサーは、品質安定のためのノイズ対策で追われていました。当時、某自動車メーカの組立ラインに納入し、夏場に現地調整をしておりました。その現場へ訪れたとき、当社のメンバーが張り付いて、制御盤の扉を明け、扇風機でCPUユニットに風をあてているのを見て愕然としました。彼は、CPUダウンに備え、同じCPUを用意して、直ぐに予備に切り替えるようにしていました。これでは、量産品で、こんな事になったら大変なことになる、相当ノイズマージンを上げないと駄目だと絶句しました。この場合は、現場と工場と連携して、個別対策で何とか収めました。開発中のKシリーズを色々見直し、4層のプリント基板が高価でしたがCPUモジュールに採用し、万全を期したつもりでいました。 暫くして、某製紙会社でもトラブルが起きました。今度は万全を期して、開発リーダを止む無く派遣しました。現地から彼が電話で、“CPUからI/Oユニットへ芋づる式で接続しているバスが長いのが駄目です!”といってきました。これもその場の対策は何とかして収めましたが、肝心の開発中のKシリーズは、実装でかなり改善はしているが、危ないかも知れないという不安に襲われました。 課内で喧々諤々、“I/Oのバックボードも4層基板でシールドを確りやるべし!”と、“販売と約定している原価が守れなくなる!”とのトレードオフに悩み抜きました。挙句の果て、当時のY副所長に相談に行きました、“トラブルで人と金を無駄に費やし、お客満足を損なっては何にもならぬ!”と一喝されました。それで腹が決まり、4層にしました。その結果、今までの誤動作は、嘘の様に静まり、一切起こりませんでした。これで、「狭い視点で原価を見ていては、駄目だ」という教訓を得ました。 この様な判断に遭遇すると、いつもこのケースが思い浮かびました。 |
| 03) | 本質的コスト低減(原低)を追及する |
| 上記の例のように予定コストが狂うのが常です。目標原価の達成には、将来も視野に入れ、設計から造り方を革新することの大切さを痛感しました。シーケンサーの組立は、従来は電線で配線する制御盤工場でした。この強電盤組立工場の作業は減少の一途でした。そのため時間当たりのコストは高く、工場からは恨まれましたが、出来るだけこの工場の工数を使わない方針としました。シーケンサーの構造を徹底的にモジュール化を進め、電源モジュールさえもプリント基板上に実装したのです。当時、名古屋製作所はNC装置が移管されたお陰で、電子化が一挙に進み、電子製造装置が多く投資され、モジュールは継続的に原低されました。 |