「MELSEC」の黎明史-Ⅱ

前回12月25日のブログで、保留にしましたテーマ;「三菱汎用シーケンサー(ワンボードタイプ)の前史時代」の話を書きます。

1976年頃の話です。或るとき、三菱電機中部支社の技術サポート部隊(システム販売促進)に所属するN君が、制御盤設計課の私の席へ訪れました。以前は、長崎製作所で、鉄鋼プラントの石炭・鉱石ヤードの大規模システムなど、コントロールシステムの設計を担当し、MELSECシーケンサー、センサーなどで構成するSIをしておりましが、その頃は、第一次オイルショックの後遺症から抜け出せない時代で、製鉄所の大型投資も少なくなり、新規市場開拓の使命を帯びて、中部支社に駐在し、販促活動をしておりました。そして、トヨタなどの加工組立産業が注目され始めた時代でもありました。彼はSIの経験を活かし、トヨタの生産技術部門に密着して販促活動をしておりました。当時、トヨタではカンバン方式が採用され始め、電気行灯(あんどん)が各ラインに導入拡大されておりました。

N君が、私の席に持ち込んできたのが、当時、生産技術を担当されていたKさんが作られたフレキシブルあんどん用のコントローラーの構想図でした。それはスタンド型の操作パネルで、盤の表面に数桁のディジタルスイッチと数値表示器、押しボタン、表示ランプ等が配置されており、盤内に、アンドン制御に必要な機能をプログラマブル化し、どのラインの、どこのステーションにでも、共通して使える仕様を備えた汎用アンドン制御装置でした。

それを見せてもらった私は、一笑にふした記憶があります。当時、私のところは、鉄鋼顧客で数少ない大型物件;NKK扇島コイルヤードの自動搬送クレーンシステムの受注を果たし、繁忙の真っ最中であったこともあり、‘そんなチャチな盤など一般の盤屋さんでも出来るのでは?’と、N君が折角入手した物件をすげなく断ってしまいました。

販売部門では、トヨタへ入る折角のチャンスを名古屋製作所が断ったとあって、大問題となり、どこか引き受けるところがないかと探し回った挙句、自動車電装品の製造担当の姫路製作所が、自動車関連でもあり、当時のH製作所長としては、事業の多角化も視野に入れられ、引き受けられることになりました。

その結果、姫路製作所では、トヨタへ納入することに成功し、カンバン方式の展開とともに継続受注し、製品名をワンボードシーケンサーとして、一般販売へも展開し、‘ワンボード’と云うオリジナル製品で成功しました。

一方、我々が担当するモジュールタイプは、重電システム指向から脱しきれず、2度モデルチェンジを重ねましたが、汎用機器販売部門からは、成功したワンボードと対比され、クレーム頻発で、針のむしろに座る心地で、切歯扼腕する時代がありました。

その中で、NKK扇島プロジェクトは完成し、事業本部長から臨時表彰を授与されました。当時の名古屋製作所S所長から表彰状を伝達されたとき、“このようなボーナス的技術記録品ばかりでなく、この技術を量産品の応用に力を注げ!”と発破をかけられました。そして間もなく「シーケンサー設計課長」に任命され、逃げ場のない立場に立たされました。そこから、私たち任命された7人の男性課員は、正面から汎用機器販売部門と向き合い、製販一体の行動のなかで、シーケンサー事業の現代史が始まりました。1980年3月のことです。

話をワンボードに戻しますと、三菱シーケンサー事業は、ワンボードで成功したからこそ、今日があります。他社には出来ない、システム指向と、汎用指向の2面作戦が対外的に出来、社内では競争と協調を織り交ぜ連携して、成長のきっかけを掴む幸運に恵まれました。国内及び、グローバル化においても、欧米、中国を初めとするアジア地域でも、常にワンボードが尖兵となってくれました。


今、振り返ってみると、私はシーケンサー(=PLC)とは、当初、機械を自動化するツールとして、「無人化」を目指す意識でしたが、今や、「機械と人をつなぐ=自働化」を推進するツールとなっています。その原点は、‘カンバン方式’のワンボードシーケンサーにあったのです。

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