三菱シーケンサー〔MELSEC〕の黎明史
前回に続き、日本の『見える化』の原点を探りたいと考えていますが、一時中断し、その前段として、1981年より数年さかのぼる1975年頃の三菱シーケンサーの黎明期に、何があったかの挿話を入れます。
当時、私は、三菱電機名古屋製作所で、製鉄所の大型クレーン、仕分けコンベアとか、立体自動倉庫、立体駐車場などの制御システムを担当する制御盤設計課長をしておりました。これらの分野は、機械を自律分散制御するシステムが好まれ、ワンチップマイコンが自動化クレーンなどに応用され始めた頃です。担当機種の中にシーケンサー(PLC)があり、少人数のグループで開発を担当していました。その頃の三菱シーケンサーは、重電分野向けに開発された製品で、大規模システムを集中制御するタイプでした。そのため当製作所の需要顧客としては少なく、あまり受注が期待出来ませんでした。或る時、下水道局プラントなどを担当している神戸製作所の担当部門から、当時の大型シーケンサーでは、下水道プラントの保守で広範囲にプラントを停止させなければならないので、水門単位のモータ一1台を分散制御する小型シーケンサーの開発提案をされました。それを受け、シーケンス言語をマイコンで処理する小型シーケンサーを開発しました。この製品は、重電部門に良く使われ成功しました。従来、この部分は電磁リレーでラダーシーケンス回路を組んでいましたので、その手法を継承してプログラマブルになるので好評でした。
しかし、これをノーヒューズブレーカ、電磁開閉器などの部品販売部門で売リ始めましたが、重電生まれのせいか、汎用機器販売部門と、そのユーザ顧客(制御盤メーカなど)に馴染まず、汎用シーケンサー事業としての立ち上げは、難渋の道を辿りました。
その頃は、工業用コンピュータによるDDC(Direct Digital Control )からマイコン内臓のコントローラーによるDCS(Distributed Control System )が普及し始めており、SPC(Set Point Control )と称し、分散制御機能をインテリジェント化しローカルで自律制御するため、センサー技術、マン・マシンインターフェース、上位システムとのネットワークの開発が進んでいました。しかし、それを応用する高度な技術者は未だ少数派でした。しかし、そこに登場した、シーケンサーは、制御現場を知る大多数の技術者が使い慣れた‘大衆だ言語’でプログラム出来るので、彼らの制御対象をインテリジェント化するアイデア(ユーザニーズ)を次々と教えてくれました。そして私の部下のエンジニア達は、自動クレーン等のSPCでさんざん苦労した経験があり、そのニーズを理解し製品化する能力があったのが、幸運でした。その後、マイコンを応用していたDCSの大部分の応用分野がシーケンサーに置き換えられ、使われる様になり、シーケンス機能ばかりでなく、データの取り込み、そのデータの加減乗除をラーダー回路の様に扱えるようになり、ネットワークとか、センシング・インテリジェント機能のモジュールが充実され、制御盤メーカの技術者へも普及し始めました。その結果、汎用機器販売網での販売拡大が続伸し、小型、高速、高機能として益々充実し、今日の汎用シーケンサーに成熟しました。
以上が、所謂、「三菱汎用シーケンサー(モジュールタイプ)の前史時代」の話です。
注) 「三菱汎用シーケンサー(ワンボードタイプ)の前史時代」もありますが、別の機会に書きたいと思っています。
ここまで書いて、本題の日本の『見える化』の原点の話に戻ろうと思いましたが、紙面に余裕がありません。そこで、「三菱汎用シーケンサーの前々史時代」を書き加えます。
この三菱シーケンサーの歴史は、更にさかのぼった1970年代初頭の話しです。当時三菱電機が技術提携していた米国のウェスティングハウスで、制御用コンピュータにシーケンス言語=POL(Problem Oriented Language)を開発して、大規模な製鉄システムなどのシーケンス制御を実行処理するプログラマブル・ロジックコントローラが出現していました、それを三菱電機が導入したのが始まりです。このシーケンスPOLを、鎌倉製作所の三菱制御用コンピュータのCPUに搭載し、神戸製作所、長崎製作所と私が所属する名古屋製作所が、夫々担当する工業分野へ適用して、プロセスI/Oを組み込み、制御システムの制御盤を製造していました。この3製作所が「シーケンサー技術委員会」を組織し、『三菱シーケンサー(MELSEC)』と命名し、技術の統一と普及を図りました。そして、大規模制御システムを担当する神戸、長崎ではかなりのシステムを納入しましたが、名古屋製作所の中小規模の制御システムへはコスト的に普及がはかばかしくありませんでした。しかし、名古屋製作所は制御盤用機器販売として将来性があると考え、個別顧客対応ではない汎用化を目指していました。一方、重電担当の製作所では、シーケンス主体では飽き足らず、プロセス機能強化に傾斜し、製品名も「メルプラック(MELPLAC)」と名前を変えました。そこで「三菱汎用シーケンサー(MELSEC)」の名前を継承し、生き残ることが出来ました。
当時、私は、三菱電機名古屋製作所で、製鉄所の大型クレーン、仕分けコンベアとか、立体自動倉庫、立体駐車場などの制御システムを担当する制御盤設計課長をしておりました。これらの分野は、機械を自律分散制御するシステムが好まれ、ワンチップマイコンが自動化クレーンなどに応用され始めた頃です。担当機種の中にシーケンサー(PLC)があり、少人数のグループで開発を担当していました。その頃の三菱シーケンサーは、重電分野向けに開発された製品で、大規模システムを集中制御するタイプでした。そのため当製作所の需要顧客としては少なく、あまり受注が期待出来ませんでした。或る時、下水道局プラントなどを担当している神戸製作所の担当部門から、当時の大型シーケンサーでは、下水道プラントの保守で広範囲にプラントを停止させなければならないので、水門単位のモータ一1台を分散制御する小型シーケンサーの開発提案をされました。それを受け、シーケンス言語をマイコンで処理する小型シーケンサーを開発しました。この製品は、重電部門に良く使われ成功しました。従来、この部分は電磁リレーでラダーシーケンス回路を組んでいましたので、その手法を継承してプログラマブルになるので好評でした。
しかし、これをノーヒューズブレーカ、電磁開閉器などの部品販売部門で売リ始めましたが、重電生まれのせいか、汎用機器販売部門と、そのユーザ顧客(制御盤メーカなど)に馴染まず、汎用シーケンサー事業としての立ち上げは、難渋の道を辿りました。
その頃は、工業用コンピュータによるDDC(Direct Digital Control )からマイコン内臓のコントローラーによるDCS(Distributed Control System )が普及し始めており、SPC(Set Point Control )と称し、分散制御機能をインテリジェント化しローカルで自律制御するため、センサー技術、マン・マシンインターフェース、上位システムとのネットワークの開発が進んでいました。しかし、それを応用する高度な技術者は未だ少数派でした。しかし、そこに登場した、シーケンサーは、制御現場を知る大多数の技術者が使い慣れた‘大衆だ言語’でプログラム出来るので、彼らの制御対象をインテリジェント化するアイデア(ユーザニーズ)を次々と教えてくれました。そして私の部下のエンジニア達は、自動クレーン等のSPCでさんざん苦労した経験があり、そのニーズを理解し製品化する能力があったのが、幸運でした。その後、マイコンを応用していたDCSの大部分の応用分野がシーケンサーに置き換えられ、使われる様になり、シーケンス機能ばかりでなく、データの取り込み、そのデータの加減乗除をラーダー回路の様に扱えるようになり、ネットワークとか、センシング・インテリジェント機能のモジュールが充実され、制御盤メーカの技術者へも普及し始めました。その結果、汎用機器販売網での販売拡大が続伸し、小型、高速、高機能として益々充実し、今日の汎用シーケンサーに成熟しました。
以上が、所謂、「三菱汎用シーケンサー(モジュールタイプ)の前史時代」の話です。
注) 「三菱汎用シーケンサー(ワンボードタイプ)の前史時代」もありますが、別の機会に書きたいと思っています。
ここまで書いて、本題の日本の『見える化』の原点の話に戻ろうと思いましたが、紙面に余裕がありません。そこで、「三菱汎用シーケンサーの前々史時代」を書き加えます。
この三菱シーケンサーの歴史は、更にさかのぼった1970年代初頭の話しです。当時三菱電機が技術提携していた米国のウェスティングハウスで、制御用コンピュータにシーケンス言語=POL(Problem Oriented Language)を開発して、大規模な製鉄システムなどのシーケンス制御を実行処理するプログラマブル・ロジックコントローラが出現していました、それを三菱電機が導入したのが始まりです。このシーケンスPOLを、鎌倉製作所の三菱制御用コンピュータのCPUに搭載し、神戸製作所、長崎製作所と私が所属する名古屋製作所が、夫々担当する工業分野へ適用して、プロセスI/Oを組み込み、制御システムの制御盤を製造していました。この3製作所が「シーケンサー技術委員会」を組織し、『三菱シーケンサー(MELSEC)』と命名し、技術の統一と普及を図りました。そして、大規模制御システムを担当する神戸、長崎ではかなりのシステムを納入しましたが、名古屋製作所の中小規模の制御システムへはコスト的に普及がはかばかしくありませんでした。しかし、名古屋製作所は制御盤用機器販売として将来性があると考え、個別顧客対応ではない汎用化を目指していました。一方、重電担当の製作所では、シーケンス主体では飽き足らず、プロセス機能強化に傾斜し、製品名も「メルプラック(MELPLAC)」と名前を変えました。そこで「三菱汎用シーケンサー(MELSEC)」の名前を継承し、生き残ることが出来ました。